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四谷怪談 プロローグ

「もー死ぬぅ」
「物騒なことを言うな」
 舌を垂れ左右にふらふらしながら歩く後輩を叱責する。死にそうなのはみんな同じだ。
 アスファルトから立ち上る陽炎。情けの欠片もなく肉を焦がす太陽光。あるかもわからないオアシスを求めて砂漠を彷徨う旅人の気分だ。夏場とはただの上り坂ですら地獄道に変えるらしい。
 八神の横では夏樹恵が苦笑している。供え物を抱えている彼女よりも手ぶらの黒木のほうが遅いとは。
「社長息子はどうしてんのよ」
 夏樹が嫌味をたっぷりと染みこませた言葉を吐く。今度は八神の苦笑いする番だった。黙って坂道のずっと向こうに指を差す。
 絞りきられた雑巾のような黒木より、さらに後ろを歩く姿があった。……どうやら、烏丸部長は運動が苦手らしい。そういえば、駅前に集合した時からすでにぐったりとしていた。
 ——曇りくらいのほうが、ちょうどよかったかもしれない。
 八神は晴天の日を選んだことを後悔していた。
 黒木は追いつくなり、道路の上にしゃがみこんだ。頭を枯れた花のように垂れる。伸びくさった髪の間から汗だくの首筋が覗く。
「そんなに暑いなら髪を切ればいいだろ。見ているこっちがうっとうしい」
「面倒くさいじゃないですか、散髪屋に行くの」
 髪をかきむしりながら答える。散髪屋に行くのすら面倒に思い始めたら人間終わりだな、と八神は思った。
「まあまあ、もうすぐだから頑張って」
 夏樹が笑いかける。金髪と白肌とスカイブルーのワンピースが眩しい。そう思った次の瞬間には、天使は悪魔に変貌していた。目を半眼にして坂を見下ろす。
「あのノロマ、まだあんなところにいる」
 烏丸洋介に対する夏樹の当たり方は相変わらずひどいものだった。特に最近は、この間精神科に入院する父親の見舞いに行って、また怒りがぶり返してきたらしい。
「貴様ら、この俺を置いていくとは何事だ」
 なめくじの歩みで近づいてくる烏丸。顔が真っ白になっていた。
「こんな日に、何で長袖着ているんですか」
 黒木が眼鏡の位置を直しながら言った。烏丸は「俺のようなエリートは腕をさらすなどという俗気な格好はしないのだ」などとわけのわからないことを言っている。
「あれは頭を熱にやられちゃったんでしょうね、可哀想に」
「格好つけんじゃないわよ社長息子」
「黙れえええっ!」
 次々と暴言を吐く黒木と夏樹に、どなりながら烏丸は突進してきた。二人の手前二、三歩のところで失速し、膝に手を付く。肩を上下にしてかなり辛そうだ。前髪が顔に張り付いている。
 右手側には道路に隣接する石垣が見える。石段を登ると、ずらりと墓標が並んでいた。苔むしたような古いものから、照り輝く新しいものもある。墓場はところどころ竹が植えてあり、爽夏の墓は竹を背景にすっと伸びていた。
 墓地に入ったとたん、騒ぎ声はなくなった。蝉の鳴き声だけがかすかに聞こえる。
 先ほどまで干からびていた黒木も、急に神妙な顔になっていた。夏樹も口を硬く結んでいる。
 八神にとっては幼馴染。夏樹にとっては親友。黒木にとっては恋人。烏丸にとっては奇妙な縁で知ることになった見たこともない少女。
 今、彼女はこの石の下で眠っている。一族共同の古い墓には、まだ新しい名前の彫り跡がある。
 晴れた日にここを訪れたのは初めてだ。やはり、雨に打たれているときとは雰囲気が違う。今までは墓を見るたびに後悔に打ちひしがれていたが、今日は、その死を安らかに受け入れることができた。
「……俺だけものすごく場違いだな」
 烏丸がぼそりと言った。ハンカチで汗をぬぐっている。手持ち無汰さがあるのだろう。暑い中連れ出してきたのは八神だ。機嫌を崩されると厄介なので、無理にでもフォローを考える。
「そんなことないですよ、友達の友達は友達っていうじゃないですか」
「ここに俺の友達はいない」
「そんなはっきりと……」
 黒木がつぶやく。
「わたしも、社長息子と友達認定されたくないわ」
「社長息子と呼ぶなあ、社長息子とお! 俺のことは部長陛下と呼べ! あるいは烏丸様だ! なんならご主人様でもいいぞ」
「ここは墓前です!」
 八神が一喝する。八神は普段は静かな口調だが、大声を出したときは人一倍だ。二人は口論をやめた。それぞれまったく方向違いへと顔を背ける。
「さあ、手を合わせましょう」
 四人で墓を取り囲むようにし、黙祷をする。

「それにしても——」
 夏樹は不思議そうな顔をする。
「こんな住宅街なのに、神社や祠があちこちあって不思議な感じ。この墓地もだし」
 今日訪れたこの墓地は、住宅街のど真ん中にポッとある。それどころか公民館のすぐ横だ。ちなみに、墓地の裏側は民家を挟んで神社がある。
 八神の母は地元の人間ではない。実家は四国のほうにあり、 何度か泊りがけで連れて行かれたことがある。その地域では、社や墓は生活と切り離され、山のはるか奥にあった。幼い時は、先祖の墓参りに行くのはちょっとした冒険気分だった。それと比べると正反対である。文化の違いだろうか。
「ご先祖さまが寂しくないように、身近において見守り、また見守ってもらおうという考えなんだろ」
 烏丸の答えを聞いて、なるほどと納得する。たしかに、近くにあれば墓の手入れも気軽にできるというものだ。逆に、母の地元は、死者を安らかに眠らせるために、俗世から遠ざけておくという考えなのだろう。どちらも亡くなった人への思いやりなのだ。
 この辺りは土着の信仰が厚いからか、神社や祠も多い。住民は全員各町内の神社の檀家に入っている。そして新年には神主がお札を売りに各家を回る。いにしえの文化がしっかりと現在も息づいている。
 いいことを思いついた。八神の目の色が変わる。
「今度の映画、ホラー系にしませんか?」
 映画研究部の廃部を防ぐため、自主制作映画を撮ると決めた六月前から、一月が過ぎていた。しかし、脚本の段階でそれぞれの意見が合わず、今まで頓挫していたのだ。
「墓参りの帰りにそんなことを考えるな」
 烏丸はあきれていた。常識的な判断ではあるが映画研究部部長としてはこれではいけない。
「たしかに、ホラーなら多少脚本が悪くても暗がりで振り向きざま女の子をきゃーって叫ばせればそれだけで怖いですからね。誰でも楽しめるし、いいかもしれません」
 黒木は乗り気になってくれた。夏樹も、ルビーレッドの瞳を輝かせた。女の子は怖い話が好きというが、夏樹も例外ではないらしい。
「この辺、出雲が近いから怪しい伝承とかけっこうあるよ。変な噂も多いし」
「じゃあ地域にある伝承や怖い噂を集めてそこから選出してモチーフを決めよう。部長、それでいいですよね?」
 有無を言わさぬ勢いで烏丸に是非を求める。烏丸は大きくため息を吐いた。
「お前はじめから俺の意見聞くつもりないだろ」
「よくわかりました」
 爽やかに笑ってみせる。ここで反対されてはいつまでたっても話が進まない。夏休みも近いし、そろそろストーリーを決めてしまわないとそれこそ計画倒れになってしまう。
「かまわんが、社会風刺を入れて高尚なものにしろよ」
「決まりですね」
 八神は拳を握った。ダメージばかりだった延々と注がれる熱線もエネルギーに変換される。茹だる坂を下りながら、夢中になって話をする。
「怪談で言うなら、『×××電話』とかあったよね」
 電話ボックスを横切る時に夏樹が言った。懐かしい噂だ。
 八神が中学生のころに流行った噂で、『××××××××××』に電話をかけて切ると、無言電話がかかってくるというものだ。実際に試した子供が何人もおり、たしかに、折り返して電話がかかってきたという。また、無言ではなく「さくらさくら」の歌が聞こえた場合は死んでしまうとも言われていた。
「捨てヶ浜前の森林、あそこもかなりヤバいらしいな。昔、間引きをしていたとかで」
「僕らの高校にも、首なしマリア像の抱いている赤子が夜泣きするとか言う噂が……」
 駅に着いても、地元の怪談話は尽きることがなかった。

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