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四谷怪談 第一章

「おい野郎ども、今日は南極物語を観て盛大に泣くぞ!」
「はいはい」
 部室に入るなり檄を飛ばす烏丸洋介に、他の部員は真心に欠ける返事をする。八神も黒木も部長の顔を見ようともしない。八神はひたすらにシャープペンを動かしていた。
 何とかして注意を引こうと部長は、右手でビデオを突き出しながらさらに大きな声を出した。
「何だその態度は。いいか、後で感想文書かせるんだからな、四百字詰め原稿用紙三枚以上五枚以下にまとめるんだぞ! アメリカ版と比較した考察も書かせるからな!」
 帰ってくるのは冷房の低いうなり声だけだ。烏丸は激昂しさらにわめき始めた。
 うるさいし気の毒なので、八神は顔を上げる。烏丸の顔が少し緩む。
「部長、もう脚本はほとんど完成しています。映画を観ている余裕はありません」
 爽夏の墓参りから、早二週間が過ぎていた。夏休みが目の前で笑っている。
 八神が中心となり、皆の意見を取り入れながら急ピッチで作業をすすめ、後は細かい推敲だけとなった。
 話の概要は、主人公の少女が、郷土史を調べるうち、地元の行事・とんどさんに関わる恐ろしい事実をつかんでしまう。それからというもの身の回りで怪奇現象が起こるように。それを鎮めるためには、各霊場を回りお札を貼らなければならない。少女の孤独な戦いが始まる。――という、よくあるオカルト話である。だが、各霊場の名目で心霊スポットを巡るので、それだけでも地元の人間にはウケるだろう。
 脚本作りが終わったら、次は画コンテだ。シーンごとの構図や人物の立ち位置を決めていかなければならない。何百に及ぶカットを一コマ一コマ描いていくのは、ある意味撮影よりも根気が必要なのだ。   
「俺は一日一本は映画を観ないと生きていけないんだよ。一服の清涼剤なんだよ!」
 どこの幼稚園児だ、と心の中で毒づく。
 やれやれというふうに黒木が肩をすくめる。
「部長は恋をしたほうがよいですね。映画鑑賞以外のものにやすらぎを見出すべきです。彼女がいれば毎日がそれだけで薔薇色ですよ」
「お前にだけは天地がひっくり返っても言われたくない言葉だったな。いくら昔恋人がいた時期があったからと」
 ここだけは八神も同意だった。いくら事実だったからって、さあちゃんが黒木と付き合っていたなどと認めたくない。数年前、二人の間にいったい何があったのだろうか。
 痩せぎすで分厚い眼鏡の少年を見ながら、八神はひどく惨めな気分になった。
「昔、じゃないですよ。今でも爽夏ちゃんは僕の大事な恋人です。毎日寝る前にはおやすみなさいのチューを写真にして、アニメのヒロインを観るときも顔は爽夏ちゃんで脳内補完して、エロ画像もアイコラで爽夏ちゃんの顔にして……っぐえ」
 腕にスナップを効かせ、シャーペンで黒木の額を打ち付ける。黒木が額を抑えてのけぞった。
「いい加減にしろ犯罪者予備軍。さあちゃんを汚すな」
 低い声を出しながら眼光するどく睨みつける。黒木は自分の受けたダメージしか頭にない様子だった。
「痛ぁ……八神先輩、意外に力がありますね」
「当たり前だ、これでも中学まで剣道やってたんだから」
 八神が見えない柄を握りながら教える。それを見て黒木は口笛を吹いた。
 と、部屋が暗くなった。電気を消し、暗幕を閉めにかかっている烏丸部長が目に入る。八神が何か言う前に、よく研がれた目をこちらに向ける。人間を陥れる狐の顔だ。
「いいか。二ヶ月前の事件のせいで、俺は教師からいじめられっこでリストカッターのメンヘラちゃん扱いだ。少しくらいはわがままを聞け」
「……そういうのなしでしょ」
 黒木がもごもごと小さな声で言った。少しではなく多大なわがままだ、と八神は付け加えたい。まったく、あの時格好よく黒木をかばった烏丸洋介はどこに消えたのだろうか。
 しかし、これを言われるとこちらとしては弱いので、今日はおとなしく南極旅行に出ることにした。
 ――そして二時間半後には、涙目になった男三人が実社会に取り残されるのだ。
 ねっとりとした油絵具独特の匂いに包まれた美術室は、学校内でも異色に感じられる。ちょうど、校庭の隅にある小さな礼拝堂と同じような雰囲気だ。
 もっとも、美術部である夏樹にとっては勝手知ったる場所のようだが。
 夏樹の横には、イーゼルに立てかけられた大きな油絵が置かれている。例の、夕日に映える猫の絵だ。素人目にはもう完成しているように見えるのだが、ここからが勝負だと夏樹は語っていた。
 完成品の台本を読む夏樹の前で、八神は弁当を広げていた。夏樹も本来の部活があるので、いつも映画研究部に放課後を費やしているわけではない。昼休みは美術室で過ごしているというので、こうしてお邪魔させてもらっているわけだ。……昼休み、人と一緒に食事するなどと何年ぶりだろうか……。八神は自分が少し可哀想になった。
「すっごい、面白いよ。これ」
 夏樹がクリームパンから口を離す。口にモノを入れたまましゃべるのはよい癖ではない。夏樹はおかまいなしに話を続けた。
「最終ステージの栗嶋神社ってどこにあるの?」
「境江から白子に行く途中に、こんもりと盛り上がった山が見えるだろ」
 八神は箸を下ろす。夏樹は少し考えるそぶりをした。
「あっ、わかった。中海方面にある海坊主みたいな」
「あそこだよ。図書室でいろいろ調べたら、意外と歴史のある場所だったみたいだから」
「そうよね。地元に人魚伝説の舞台があったなんて知らなかった」
 うなずいてみせる。
 まったくその通りなのだ。生まれたときからこの町に住んでいながら、八神は今まで栗嶋神社の存在すらも知らなかった。祭りにも出向く地区内の神社ですら、伝承や祭られた神がわからない。これでは初詣でのご利益の底が知れている。
 栗嶋神社は、隣の白子市にある。神社のある山はもともと陸から離れた小島で、江戸末期に干拓されたらしい。海に浮かぶ島なのだから、当然漁業が盛んだった。その昔、漁師が宴会を開いた折、中の一人が見たこともない魚の肉を持ってきた。なんでも、人魚の肉で食べれば不老不死になるという。村人たちは気味悪がって誰一人として口をつけなかった。食べたふりをして、持ち帰って捨てたのだ。しかし、父親が持って帰った肉を娘がそれと知らずに食べてしまう。そして、不老の体になり、孤独を憂い、洞穴に篭って断食を行いさびしく生涯を終えたという。享年八百歳といわれる。
 そう、いわゆる八百比丘尼の伝説だ。人魚伝説は日本各地に残っているというが、その一つがこんな身近にあったのだ。ちなみに、娘の篭ったといわれる洞穴は今もなお栗島神社の境内――すなわち山一つ――に存在するという。
 しかもこの山、知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない、ミステリースポットの一つで、「出る」らしい。これほど今回の脚本におあつらえ向きの場所もないだろう。
「そうそう、香盤表……って、スケジュール表なんだけど、早めに作ってしまいたいから夏休みの使える日を教えてほしいんだ」
 事前にきっちりと日程を決めてから撮影を開始しないと、どんどん予定が狂って最後まで終わらない場合が多いと、自主映画のホームページに書いてあった。つくづくインターネットというものは便利だ。ノートパソコンを得意げに操る黒木を見ながら思った。
 夏樹はパンを飲み込むと、考えるしぐさをした。
「う〜ん、暇と言えば、ずっと暇なんだけど、忙しいといえば忙しいんだよね」
 箸を口の前で止めて間抜けな顔をしている八神に、夏樹が説明する。
「部活がね、毎日あるんだけど、行ってもいいし行かなくてもいいの。どのみち作品は完成させないといけないんだけど」
「そうか、じゃあ、他の人の予定に合わせて、必要な日は来てもらうってことでいいかな?」
「うん」
 掛け時計を見ると、もう十二時半に差し掛かっていた。午後の授業は四十五分からだ。そろそろ教室に戻って準備をしなければならない。八神は残りのおかずをご飯に乗せ、一気に口に流し込んでしまう。家では絶対にこんな行儀の悪いことはできない。
 お茶で飲み下していると、
「夏樹くん、鍵、僕の車に落ちてたよ」
 ドアノブをひねる音とともに声が聞こえた。反射的に背後に目を向ける。
 大柄で白衣の男が覗いていた。目が合った瞬間、相手の笑顔が固まった。それは八神を映す鏡にもなりえた。
「あれ、八神くんがどうしてここに?」
「城戸先生」
 それは担任の教師だった。洒落た眼鏡の奥では柔和な瞳が笑っている。無闇にキレたりどなったりしない、必要なときは理論で諭す。いい先生だ、と思う。
 しかしなぜここに来るのかわからない。だいたい、鍵って何だ? 夏樹さん、先生の車に乗ったことがあるのか?
「もしかしてデート?」
 ニヤニヤしながら冷やかしてくる。
「ちが……」
「違いますよお!」
 首を千切れそうなほど振りながら、ひときわ大きな声を出す夏樹。何もそこまで全力で否定しなくてもよいと思うのだが。
「先生こそ、どうして美術室なんかに」
 八神はごくごくわからない程度に低い声で言った。不愉快なときは無自覚にこうなる。
 城戸悠久は、一瞬、ほうけた顔をしたが、すぐに笑い始めた。
「八神くん、もしかして担任の担当科目、覚えてないの?」
「え……」
 一通り思考をめぐらした後、頬が熱くなるのを感じた。
 ――城戸先生は美術教師だった。
 ということは、美術部の顧問なのか。
 八神は選択科目で美術ではなく書道を取っている。もともと絵心やらはない人間だ。小学生のころから、図工・美術は好きでも嫌いでもないさしてどうでもよい科目だった。そのため、自己紹介で一度きり聞かされた担当科目のことなど、すっかり記憶から飛んでいたのだ。
「すみません、何となくイメージで理科か数学だと思ってました」
「ハハ、先生の両親は病院やってるからね、きっとその容貌を受け継いだんだろう」
 白衣を見せびらかすようにパタパタさせる。それは親から譲ってもらったのだろうか。まあ、来ている理由は夏樹と同じで服を汚さないためだと思われるが……。
「そうそう、夏樹くん、ロッカーの鍵」
 城戸は夏樹の側まで寄って、猫のキーホルダーの付いた鍵を手渡す。ちらりと八神に視線を移す。
「画材を降ろすのを手伝ってもらったとき、落としたみたいだ」
「ありがとうございまーす。ロッカーから教科書出せなくて困っちゃった」
 テヘッとでもオノマトペが付きそうなしゃべり方。……何、このキャラ。
 血色の悪くなった八神に気が付かないのか、さらに話を続ける城戸。
「で、何で八神くんがここで弁当を食べているんだい? クラスでイジメにでも遭っているのか? 先生が相談に乗るよ」
 日陰者の八神には城戸先生の笑顔は爽やか過ぎて直視できないものだった。自分の存在が大気を舞う綿埃程度に感じられ、そのまま消失してしまいたい。気さくでよい先生だが、こういう眩しすぎる男は苦手だ。
 夏樹が頬をむくれさせる。
「全然違います。映画研究部が自主映画撮るらしくて、手伝うことになったんです」
「ほう、映研部が自主制作を」
 目つきが変わったように見えたのは、眼鏡の反射加減だろうか。
 後ろから両肩をつかまれて、八神は軽く叫んだ。頭上に城戸の無邪気な笑い顔が浮かんでいた。いつの間に背後に移動したのだろう。
「面白そうじゃないか。先生もぜひ混ぜてくれよ」
「え?」
 予想していなかった言葉に、間抜けな声を出してしまう。城戸は肩から手を離して眼鏡を持ち上げた。実にインテリ臭い動作だ。
「いやあ、実はこう見えて映画とか大好きなんだよ。美術も映画も同じモノ作りだしね」
 驚きだった。映画作りなんて、大人に話しても笑われるだけだと思っていた。それをこの先生は認めてくれた。手伝うとまで言ってくれた。八神の中で城戸先生の印象が純白に塗り替えられていった。
 それに比べて、と自分の顧問を思い出し、いろいろと不愉快な思いになる。
 映画研究部の顧問は、廃部の旨だけ伝えると、ほかはまったく手伝おうともしなかった。掛け持ちしている空手部のほうにばかり入れ込んでいたのだ。映画研究部のことなど、どこ吹く風だ。
「あ、迷惑なら無理にとは言わないけど」
 無意識に顔が険しくなっていたのだろう。城戸が困ったような顔で付け足す。八神は椅子を蹴った。
「とんでもありません、ぜひ、協力してください!」
 どの道、人手は足りないのだ。それに、大人の協力者がいると何かと便利がいい。しかも教師とくれば、学校内での多少の横暴もうまく収めてくれるだろう。
「これ、台本です。読んでみてください」
 自分用の台本を手渡す。後でもう一部、印刷すればいいだろう。城戸はありがとうと受け取って、奥の作業室へと消えた。
 ふと時計を見ると四十分を回っていた。弁当を片付けて美術室を飛び出す。

 夏樹はのんびりとしたものだった。

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