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四谷怪談 第四章


 山頂まで続く階段を見上げる。上のほうは視界の外だ。八神は、胸に手を当てて深呼吸する。
 夏休みに入り、すでに三分の二が過ぎていた。撮影も、右往左往苦労しながらも、ほぼ予定通りにこなせている。そして今日は、栗嶋神社へロケに来たのだ。栗嶋神社のシーンは、作中でも最大の山場である。これ以前のシーンで、まだ終わっていないものもあるが、映画撮影は脚本の順序どおりにするものではない。都合の良い箇所から撮りだめ、最後につなぎ合わせるのだ。
 とりあえず、今日の分が終わったら夏休みに行う撮影は打ち止めにする。あとは撮った分を確認して、不備があれば撮り直し、なければゆっくりと休みを満喫する予定だ。
 神社のある山は、予想以上に大きかった。遠くで見る分には、牡丹餅が落ちているような小山だが、近づくと存在感に驚く。五人そろってあんぐりと口を開けてしまった。
 栗嶋神社は駅からも遠く、バスもない。徒歩で移動できる距離ではないので、城戸先生の車で積んできてもらった。
 夏ということもあり、山は緑に包まれている。密度の限界まで茂っている。枝葉に押し潰されてしまいそうだ。
「よし、日が落ちてきてるので、早く撮ってしまおう」
 樹木のトンネルが一枚一枚黒いフィルターを被るのを見ながら、八神が言う。本来なら今頃は撮影が終了していたのに……と、唇を噛む。
 八神たちは、午後一時には神社を訪れていた。しかし、すでに先客がいたのだ。
 近くの高校生だろう、サッカー部と思しき集団が占拠し、駆け足の練習をしていた。百八十七段にもなる本殿への石段を、何度も上り下りしている。いまどきもあんなスポ根ドラマのような特訓をしているとは予想だにしなかった。これではとても撮影ができない。
 仕方がないので、時間をずらしてまた訪れることにしたのだ。
 頭を振り、嫌な記憶をふるい落とす。画コンテと台本を見比べる。
「ちょっと待った」
 城戸の一言に、八神が顔を上げる。城戸は階段を指差していた。
「撮影の前に、一応拝殿に参拝しといたほうがいいと思うよ。神聖な土地を利用させていただくわけだし」
 もっともな言葉だ。境内でホラー映画を撮るなどと罰当たりなことをするのだから、挨拶は礼儀というものだろう。祟りを信じるわけではないが、何もしないのはやはり気持ちが悪い。
「しかし、時間が押してますよ」
 黒木が時計を気にしながら言う。
「いいさ、神社のシーンから先に撮ってしまおう。そうすれば一石二鳥だ」
「俺は行かんぞ、面倒な。それにうちはキリスト教徒だ」
 実際は階段を登りたくないだけなのだろう。烏丸部長がクリスチャンなどと聞いたこともない。
「じゃ、一人で残れば。呪われても知らないよ」
 夏樹がそっけなく返す。烏丸は顔を背けて相手にしなかった。
 先の見えない急な階段が、参拝者を試すかのように構えている。石でできた、年季の入ったものだ。
 一歩一歩、登り始める。これが怖い。足場は悪いし、かなり急だ。そっと後ろを振り返ると、自分の登ってきた距離に唖然とする。
「夏樹さん、振り向いちゃダメだよ、めまいがする」
 前を歩く夏樹に警告する。うなずいたように見えたが、背中からではよくわからない。
 目の前をうろつく小虫を手で払う。虫が多い。山なので当然なのだが、気がつかないうちに背中に芋虫でも付いていたらトラウマになる。八神はたいていの虫は平気だが、芋虫だけは耐えられない。多少暑くとも長袖を着てくれば良かったと後悔する。
 気の毒なのは夏樹だ。半そでにスカートで一番露出が高い。暑さと虫除けのためだろう、頭からタオルを被っている。レースの付いた橙のシャツとあまりにミスマッチだ。なりふりかまう余裕もないのだろう。「下品じゃない程度に短いスカートで」などと指定した自分に罪悪感が耐えない。べつに八神が足フェチだとかそういう話ではなく、多少でも視聴者サービスにならないかという下賎な作戦だ。熱烈に案を主張したのは黒木である。
 しかし長い階段だ。まだ上が見えない。足場が悪いので、心も体も安定しない。機材を入れた旅行鞄を肩につるしているため、余計に辛い。いつしか小説で読んだ死のロングウォークを連想させた。
 やっとのことで山頂が見えてくる。
 鳥居より先に、木造の古びた楼門が建っている。たどり着くと、夏樹は背中を丸めた。城戸はすでに門の中にまで入っている。
 八神は、一息ついて今しがた登ってきた階段を見下ろす。はるか下方に砂粒のような黒木が見える。手すりにすがりつきながらの歩みが危なっかしい。着くまでまだ時間がかかりそうだ。
 城戸が門の内側をしきりに眺めている。
「何かあるんですか」
 そこには、人形が飾られていた。左右に一体ずつ、参拝者を見下ろしている。平安時代の服装をした、男の人形だ。穏やかな笑みを浮かべた、白い顔の人形。対照的に、恐ろしい形相をした、赤い顔の人形。
 この手の人形は、近所の神社にも置いてあったが、こちらのほうが格段に古く、歴史を感じさせる。
 何十年もそこに座していたであろう彼らの威圧感に、冷や汗が流れる。
「と〜りゃんせ〜、と〜りゃんせ〜、こ〜こはど〜このほそみちじゃ〜、てんじん〜さまのほそみちじゃ〜」
 静寂とした境内を、気味悪い唄声が包む。すぐ脇を、夏樹が歌いながら通り過ぎた。
「夏樹さん、突然歌いだすなよ」
 振り返った夏樹は、楽しそうだった。
「その人形見てると、何となく『とおりゃんせ』思い出してさ。ちょ〜っととおしてくだしゃんせ〜、ごようのないもにゃとおしゃせぬ〜、このこのななつのおいわいに〜」
 口ずさみながら、どんどん殿へ近づいていく。
 おふだを〜あげにまいります〜、と〜りゃんせ〜、と〜りゃんせ〜、いきはよいよい、かえりはこわい〜、こわいながらもと〜お〜りゃんせ〜、と〜りゃんせ〜……。
 城戸も歩き出したので、八神も付いて行った。
 階段の入り口に鳥居はあったので、ここにはない。苔の生えた石畳の先に、栗島神社は建っていた。
 古ぼけているが、存在感のある神社だった。深緑に囲まれ、青い空気をまとった姿は、さすが、歴史を感じさせる。猛暑だったはずが、なぜか冷気に包まれている。
 灯篭や狛犬も、コケに覆われ、深緑色になっていた。
 周囲には樹齢何百年にもなりそうな木が多く生えている。どれがご神木かもわからない。すべてがご神木なのかもしれない。
「すっごいですねえ、古手神社ってきっとこんな感じですよ」
「ここが祭っているのはオヤシロさまではなく小彦名だぞ」
 いつのまにか隣にいた黒木に、静かに返す。黒木は特に返事せず、白いシャツの胸をつかんで、暑そうにパタパタさせる。
 ともあれ、参拝を済ませてしまう。四人が順番に賽銭を投げる。鈴を鳴らそうと思ったが、この神社にはそれがなかった。仕方がないので、四人一列になってそのまま手を合わせた。
 どうか映画が撮り終わりますように。映画研究部が来年も再来年も健在でありますように。部長と夏樹さんが和解してくださいますように。
 参拝の後、改めて社を眺める。それにしても美しい光景だ。入り日が逆光になり、まるで神社自体が光り輝いているかのようだ。さっそく、機材を取り出す。
 同じように落日の中、神社を見ることがあるかもしれない。だが、今日この日のこの光景は一度きりだ。八神は夢中でカメラを回した。社も、狛犬も、楼門も、樹木も、美しいものを手当たり次第に記録する。
「八神先輩、そんなもんばっか撮っていないで、脚本の撮影してしまいましょうよ」
「そうだな、部長も待たせているし。夏樹さん、撮るよ」
「了解」
 夏樹が脚本で動作の確認をしているうちに、こちらはカメラの位置を合わせる。
「こんな感じか。黒木、コンテ見せてくれ」
 黒木が画コンテを差し出す。それの構図と照らし合わせて、できる限り近似させる。
 夏樹が、先ほど登った階段に戻っていく。木の葉で光が届かないので、通路はすでに夜と化していた。正面から、懐中電灯の明かりが近づいてくるシーンを撮る。
 ちなみに、この映画、化け物の類は一切出てこない。音や気配、小物で恐怖演出をするだけだ。素人の特殊メイクしたお化けなんて、陳腐で白けるのがオチだ。プロの作品ですら、見せないほうがましだ、と思うようなものは多数ある。だからあえて、日本の伝統的趣向に基づき、「見えないことによる恐怖」を表現する方針に決めたのだ。
 それが終わると、次は別アングルから、参道を歩く場面だ。カメラを再び動かす。毎回カメラの位置を定めるのは、時間を食うし骨が折れる。いっそ黒澤風に、カット最小の長回し撮影にすればよかった。問題は、長回しはとてつもなく技術がいるということだが。
「よりによって盂蘭盆にホラーの撮影――彼岸から帰ってきた八百姫が背中に引っ付かなければいいけどね」
「城戸先生、変なこと言わないでくださいよ」
「ごめんごめん」
 夏樹は、不服そうな顔で懐中電灯を回す。
 そうだった。まったく意識していなかったが、今日は八月十五日、お盆のただ中だった。たくさん、帰ってきているかもしれない。
 急に背筋が寒くなる。冗談抜きに、後できちんと手を合わせておかなければならない。
「貴様ら、俺をどれほど待たせるつもりだ」
 烏丸は、階段の一段目に座っていた。飲み物から口を離してこちらを見る。撮影を終えて降りてきた姿を見た第一声がこれである。自分は手伝いもせず下で待っていた人間の言葉とはとても思えない。
「すみません、思ったより手間取りまして」
 八神が苦笑いする。腕時計を確認すると、登ってから二時間近くが過ぎていた。これは、部長も怒るな、と納得した。
「あんた、ずるいわよ、一人でジュース飲んで」
 夏樹が眉を吊り上げる。すると、烏丸の体の影から、お茶が出てきた。夏樹が眉を上げた。
「へえ、そのくらいの気は利くのね」
 夏樹が受け取ろうと手を伸ばすと、反対側に缶が逃げた。
「これは八神のだ」
 缶を八神に投げ渡すと、白々しく笑う。
「こちらは黒木、こちらは城戸先生」
 それぞれ手渡していく。夏樹が作り物めいた笑顔で烏丸を見下ろす。
「……私は?」
「すまん、すまん。すっかり忘れていた」
 夏樹の笑顔にヒビが入る音が聞こえた。「俺のお茶、あげるよ」と言いかけたところ、今度は部長から邪悪なオーラが放たれているのを感じ、八神はしゃべれなくなった。
 どうしたらよいかわからない八神の横で、黒木はしがらみなくおいしそうにココアを飲んでいた。
 夏樹は烏丸のすぐ横を思い切り蹴り飛ばし(本人を蹴らなかったのは城戸先生の存在に配慮したものと思われる)、遠くの自販機へ走っていった。
 しばらくしてソーダを片手に帰ってくる。それを開けながら八神を見た。
「どうする? 今日はこれで終わり?」
「いえ、まだ岩屋のほうの撮影が残っている。今日中にやってしまおう」
 城戸以外の人間が一斉に批難の叫びを上げた。
「もう疲れたーっ」
「そうですよ、僕らはもう十分すぎるほどに頑張ったじゃないですか」
 夏樹と黒木が次々に言う。これはまずい。黒木は置いといて、夏樹にはあくまで善意で協力してもらっている身だ。この映画が完成するか否かはすべて彼女の機嫌しだいなのだ。女心と秋の空は変わりやすい。女優はうまく扱わなければならない。
「でもさ、休みを潰してまた来るよりは、今、まとめて済ましてしまったほうが後半、絶対楽だと思うよ。時間が余れば、宿題も余裕を持ってできるし、夏樹さんは油絵も描けるし。境江市との往復だけで一時間弱のロスだ。その時間分、朝ゆっくり寝たいとは思わないか?」
 目を見ながら、身振り手振りを交えて話す。巧みな話術で民衆を騙す怪しい教祖にでもなった気分だ。
 夏樹はだいぶ乱れた髪を留めなおす。
「仕方ない。コーヒーおごってね。宿題も手伝ってよね」
「ああ、約束する」
 夏樹が同意したのを見て、渋々ながら黒木も折れた。烏丸はというと、首を垂れて小声でなにやら言っている。独り言に返事するのは良くないので、聞かなかったことにする。
「あの、申し訳ないんだけど」
 カメラを担いで歩き出そうとした矢先、城戸が切り出した。眉を垂れて苦笑いしている。
「これから先生、ちょっと用事があるんだよ。これ以上は付き合えないかな」
 愕然とした。城戸先生が帰るとなると、必然的に自分たちも引き上げなければならない。撮影の続行は不可能だ。「用事がある」と言っているのだから、そこを何とかとも言えない。
 ――積んだか。
 だがここで、起死回生の一手が放たれる。
「用事が終わってからここまで君たちを拾いに来るっていう手もあるけど、ダメかな? 先生が用事を済ませている間に、君たちは撮影を終わらせてしまう、と」
 城戸先生の微笑が菩薩に見えた。こんなすばらしい人間は一生に一度出会えるか出会えないかだろう。これで続きが撮れる。烏丸部長も反対できまい、教師の提案なのだから。
 ちらりと烏丸を見ると、背後から邪悪な顔で城戸を睨み付けていた。 
 先生が視線に気づく前に、話を進めてしまう。
「そうしてくださると助かります」
 後にして思う。この時の選択は間違っていた、と。

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