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四谷怪談 エピローグ


 ○呪いのビデオ

 栗嶋神社での撮影の翌日、久々に八神たちは部室に集合した。城戸は仕事の関係で来られないということだった。
 今日は撮影はなしだ。今まで撮ったシーンの確認をするために集まった。これで不備がなければ夏休みの撮影は終了となる。
 昨日の今日ということもあって、皆だるそうな表情だった。
 ぼさぼさの頭をもっとぼさぼさにかきむしりながら、黒木が毒づく。
「昨日はもう最悪でしたよ。親父にどなられて、もうちょっとで殴られるところでした。こっちの話なんて聞きやしない」
「俺、昨日は存在を無視された……蔵の前で猫と一緒に寝た……」
 おかげで体のふしぶしが痛い。八神は顔を上げる気力もなく机に頬を貼り付けていた。
「そんなものはましだろうが」
 烏丸の鉛を飲み込んだような声が響く。今日は一段とトーンが低くしゃがれている。気の毒なくらい顔がやつれていた。首周りをしきりに手でなでている。
「俺なんて浴槽に沈められたんだからな」
「今の発言は洒落にならないので深くは追求しないでおきます」
「いいか、今度、このようなことがあったら、絶対に許さんからな。午後の六時を過ぎるようなら、無理やりにでも俺は帰るぞ。ママが帰ってくる時間になったら、本当にまずいんだ。俺はずっと家で勉強していることになっているんだから」
「はい、すみませんでした」
 普段より幾重も暗黒面の増した形相でどなる烏丸に、頭を下げる。言われなくても、八神自身、もう外で野宿などしたくはない。烏丸は今年受験生なうえに、家が厳しい。そこを無理に付き合ってもらっているので、申し訳ないというのは本心だった。だからといって誰かに過失があるわけでもなく、ミステリーとしか称されない状況が歯がゆい。
「うっわー、ママってちょっときもいんだけど」
 一人だけ衰弱していない夏樹が余裕のイヤミをかます。虫の居所の悪い烏丸は、どこの言語かわからないような乱れた言葉をわめき散らす。
「夏樹さんは元気そうですねー」
 八神が烏丸を必死で抑えている傍らで、黒木が覇気のない声で言う。
「うちは親がいないからねー。門限で叱られたりする精神的ダメージがないからかな」
 この一言が烏丸を沈静化させた。さりげなく人の良心をつくやり口がなんともいやらしい。
 実際のところ、山を駆けずり回った八神、洞窟に迷い込んでいた黒木、沈められた……らしい烏丸、などに比べれば、夏樹の疲労が少ないのはうなずける。
「さあ、そんなことよりもテープの確認をしてしまいましょう」
 八神はテープを机に並べる。今のところ使ったのは一時間のものを二本だ。無駄に海で遊んだりした映像も撮ってあるので、実質は一本強が映画関係だろう。
 部屋を暗くしてデジタルカメラと映写機をつなぐ。
 スクリーンに長い廊下が映し出された。旧校舎だ。
「お、写ってる写ってる」
 そう言ったあと、八神の心臓は一瞬にして氷と化した。
 特に、画像に異常があったわけではない。誰もいない廊下が続き、埃被った階段を登る。だが、音が。それは雑音と言うにはあまりにも異様だった。
 あの、早回しにしたときに聞こえる、独特の甲高い音声である。それが、絶えず背景に流れている。
「……――こ――い――よりし――て――ね」
「――かし――あ――……こ――だよ――」
「た――にこ――は――しぜん――で――ね」
 奇怪な音声は、会話をかき消してしまうほどの存在を持っていた。八神は、頭の中で、あの時どのような会話をしたのか思い出そうとした。無理だった。スピーカーから聞こえる電子音が、記憶さえ浸食していくようだった。
 部室内の者は静まり返り、誰一人口を開こうとしない。横槍を入れることを憚られる、そんな雰囲気だった。見たくないのに見てしまう。聞きたくないのに聞いてしまう。
 映像は、開かずの間に隣接する教室にまで来た。室内をぐるりとカメラが写す。
 座る者のいない机が十ほど並んでいる。列が乱れていたり、机の向きが斜めになっていたりと、学生生活の跡が残っていた。蛍光灯が割れているのを見て、とっくに風化してしまった空間だと改めて感じる。黒板には、大きく「今までありがとう」と書かれている。閉鎖される学び舎への労いだろうか。後ろの壁には木製ロッカーがずらりと並んでいる。入り口側には掃除道具入れがあり、雑巾が扉に挟まっている。
 扉に、雑巾が――。
「うああっ」
 八神は机が壊れそうなほど両手を叩きつけた。立ち上がると、カメラの停止ボタンを何度も何度も乱暴に押す。真っ赤に濡れた教室が映し出された瞬間、映像は固まった。八神が押したのは一時停止のほうだった。
 音声がぷつりと止まる。
 突如とした八神の行動に、仲間たちは言葉を失っていた。八神にはそれを気にかける余裕がなかった。
 机に手をつく。肩が上下に揺れる。心臓がめまぐるしく血液を送る。
 見たくないものを見てしまった。思い出さなくてよいことを思い出してしまった。知らなくてよいことを知ってしまった。
 あの時――、屋根裏に上がる寸前――、背後に気配を感じた。見られているという視線を感じた。掃除道具入れの隙間から、覗かれているという恐怖を感じた。だが、振り返って確認したとき――そこには隙間なんてなかった。覗けるような隙間はなかった。綺麗に扉は閉じられていた。
 そんなことはあり得ない!
 八神は顔を持ち上げる。巨大なスクリーンには、血まみれの教室にたたずむ少女が映し出されている。
 さっき、映像を見てわかった。掃除道具入れには隙間があった。雑巾が挟まるほどの隙間があった。だが、八神が振り返ったとき、そこに隙間はなかったのだ。
 旧校舎には、何かがいる。
「も、もう一本のほうのテープ、観ましょうか」
 黒木がゆがんだ笑顔を浮かべながら、ビデオを停止させる。スクリーンから像が消えた。後輩に気を遣わせてしまったことが申し訳ない。そう思いつつ、八神は軽くうなずくことしかできなかった。
 何もなかったような顔で、テープを入れ替える黒木。
「今の、何だったのかしら」
「……マイクが壊れていたんじゃないのか」
 沈黙がいたたまれなくなったのか、夏樹が控えめに先ほどの異音について指摘した。烏丸が当たり障りのない答えを返す。誰もそれに反論するものはいなかった。多少強引にでも、納得してしまったほうがよいとわかっていたのだ。
 そうだっと、黒木が再生ボタンの上で手を止める。烏丸にキラリと光る眼鏡を向けた。
「部長、演劇部の花形女優だった人と知り合いなら、撮影に誘ってくれればよかったじゃないですか。かなり映画の質が上がったのに。ヒロインは一人より二人ですよ」
 いきなり脈絡のないことを言い出す。八神には黒木の意図がわからなかった。
 烏丸が若干ムキになった語調で返す。
「バカを言うな。同じクラスだっただけで口も利いたことがない相手だぞ。だいたい、クラスメイトと教室以外で関わりあうなんてごめんだ」
「何ですかそれ」
「クラスはクラス、部活は部活、プライベートはプライベートだ。お前らだって家の外で親と会っても無視するだろう」
「あんた、病気だよ……頭の」
「俺は病気ではない! しかも『頭の』って何だ、普通、『心の』とか言うだろう!」
「……あら、自覚あったのね」
 白い目で見る夏樹に、しゃがり声で喚き散らす。またいらぬ紛争が起こりそうだったので、話を軌道修正する。
「朱里さんなら、次回撮影するときは協力してくれるって言ってたよ」
「マジですか? やりましたね。いやあ人の縁って本当に不思議ですよ。あんな形で絶世の美女と謳われる三枝朱里とお近づきになれるだなんて」
 あれ? そこまで言って、黒木は首を捻る。
「でも実は僕、あの人の素顔って見てないんですよね」
「そういえばそうだな」
 八神もそこに思い至る。去年の文化祭で演技だけは見たがその時は仮面の女騎士の役で、最後まで顔が出てこなかったのだ。黒木に至っては、舞台に上がった彼女すらも見たことがないはずだ。
「そこの下品な女よりは美人だと思うが。あまり特徴のある顔ではないぞ」
 烏丸がそっけなく返す。「誰が下品なのよ」と夏樹が詰め寄る。
「まあまあ、とにかくテープの確認をしましょう」
 ごく自然にそんな言葉が出ていた。恐怖心も動揺もかなり軽減している。八神はとぼけた顔をしている黒木に感謝をした。彼は策士だ。実にさりげないやり方で人間を誘導していく。それがマイナスに働くと悲劇になるが、プラスに働けば頼もしい。
 が、映像が再生されたとたん、和らいだ空気が雹となって落ちていく。
 間引きの慣習があった松林……打ち捨てられた浜辺……墓を潰して作られた小学校……大蛇の棲んでいたという丘……鎮守の森……数々の心霊スポットの流れる中、入っていた。
 一本目のテープと同じ、奇怪な音声が。
「何で……」
 夏樹の声は震えていた。
 いつまでも途切れなく続く音声に、恐怖よりも不気味さが募る。それは、ラストの栗島神社のくだりまで続いた。
「あの」
 ビデオを停止した後、静まった部室の中で黒木が口を開く。
「どうした?」
「あれ、早回しの声っぽいですよね」
「ああ」
 暗幕の張られた闇の中で、黒木の眼鏡だけが光を反射する。八神は、彼が何を言いたいのかうっすらとわかった。
「スロー再生してみませんか?」
 それは八神も考えたことだった。早回しの音声なのだから、スローにしたら一倍速になる。つまり、この音の正体をつかめるのだ。聞く限り、人のしゃべり声に思われる。だからこそ不気味だ。いったい、何を訴えかけているのか。気にならないといったら嘘になる、なるが……。
「いや、やめておこう。音声は全部消して、後で声だけ撮り直そう」
 
 旧校舎や栗嶋神社だけじゃない。自分たちが回ったのは、怪談話の絶えない場所だった。消えない想い、嘆きの声、触れてはいけないものが、あそこにはあったのかもしれない。
「黒木、お前、静の岩屋に行ったとき、白い影を」
「僕は何も見てませんよ」
 即答だった。

 夏休みの最終日、八神は市民会館に来ていた。演劇部の自主公演を観るためだった。
 ドーランによる厚化粧のため、三枝朱里の顔は結局よくわからなかった。ただ舞台の上で舞うように動くお岩は、たいへん綺麗だった。
 後に、演劇部が公演前にお岩さんの供養を行った話を聞き、映画研究部も直ちに近所の神社にお払いに向かった。翌日、ビデオを確認すると、奇妙な音声は跡形もなく消えていた。誰も消してはいないのに。

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