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名探偵はいない プロローグ


 湿った空気がねっとりと体に膜を張る。雨の日の夕方は、世界中が青に包まれてこの世の終わりを思い起こさせた。……墓場にはふさわしい。
 八神切人はずぶ濡れの体のまま、同じく色を濃くした墓石をじっと眺めていた。
 この下に、爽夏が眠っている。
 花束を握る手に力が篭る。家を出る前は整っていた形が、大きくゆがんでしまっていた。
 悔やんでも悔やみきれない、忘れても忘れきれない記憶。
「さあちゃん」
 墓には、すでに花が添えられていた。八神が持っているのと同じ、爽夏の愛して止まなかったエリカの花が。丸い花がすずなりについた、儚げな姿は、さあちゃんの印象そのものだった。
 八神は自分の花を、先客に混じらせた。細い竹筒には入りきらず、残りは墓前にそのまま横たわらせる。雨が容赦なく花を打ちつけた。
 なぜこんな雨の日に来るのか。雨の日だから来るのだ。雨の日でなければならない。爽夏の葬儀をしたあの日も、同じように雨が降り次いでいた。傘くらいは差してもよいのかもしれない。だが、差してはいけない。傘なんて差したら――自分の弱さが、わかってしまう。
 エリカは鉢花だ。本来花束に向く種類ではない。それでも彼女が好きだったから、墓前への花はこれと決めている。花屋では売っていないので、庭の鉢から頂戴してきた。
 先に墓参りをしていった人物も、同じように手間をかけてエリカの花を用意している。
 八神が墓を訪れるのは、命日などとは無関係だった。花の季節、そして雨の降った日に、思い立つたびにここに来る。
 それだというのに、毎回、そこには花があった。
 こうやっていつもエリカの花があるということは、自分と同じように彼女の死を悼む人間がどこかにいるということだ。
 エリカ――彼女が愛して止まなかった花。しかし、その花言葉を思うたび、八神は複雑な思いにとらわれる。
「博愛・孤独・裏切り……か」
 爽夏のことは、誰よりも理解していたつもりだった。だが、本当は何もわかっていなかったのかもしれない。誰にでも親切で、心優しかったさあちゃん。さあちゃんは、孤独だったのだろうか。
 俺のせいだ。きっと、俺のせいなんだ。
 八神は、どしゃぶりの雨を浴びながら、声を殺して泣いた。

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