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名探偵はいない(一)


 ○事件二日前
 一人の男が立っている。軍服を着て、頭に鉢巻を巻いた男だ。体格はよく、坊主頭で、眉間に深くしわを刻んでいる。目つきは鋭い。何か鬼気迫るものがあった。
 拳を握り、大きな声で何事か喚いているが、その声は大衆のざわめきに打ち消された。
 やがて男は、刀を腹に突き立てた。今までで、もっとも鮮明で、もっとも意志の篭った叫び。
「陛下、万歳――」
 赤い血が、男の腹から、口から、溢れ出た。
 そしてすべてが終わる。
 烏丸洋介の目は潤んでいた。まぶたの周りが赤くなる。長いまつげが濡れている。瞬きをすると、涙が頬にこぼれ落ちた。
 そんな先輩の姿を、八神切人は半ば引き気味に眺めた。
 薄暗い教室内で、スクリーン上にエンドロールが次々と流れていく。
 後輩の黒木晶は机に突っ伏して身動きひとつ取らない。
 ろうそくの火を吹き消すように画面が途絶える。
 烏丸が目元をハンカチで押さえながら立ち上がる。電気のスイッチを入れると、部室内が一気に明るくなった。
 それが皮切りだった。
「部長、あなた馬鹿ですか? アホですか? いったいどこの世界に四島由紀夫の裏ビデオ観て喜ぶ高校生がいるんですか!」
 黒木晶が噛み付いた。分厚い丸メガネに、耳が隠れるまで伸びた重たい黒髪。もやしのような肉体の、いかにも引きこもりかオタクっぽい新参部員。よくあの部長に反抗できるな……と八神は感心する。見かけによらず血の気の多い一年生だ。
 席まで戻ってきた烏丸が、ハンカチを握った手で机を叩く。
「何だと、いいか? これは天才作家・四島由紀夫の一生をある著名な外国人監督が映画化した作品で、諸々の観点から日本での公開が許されなかった幻の一品だぞ。この芸術的価値がなぜわからん。わざわざこの俺が権力を駆使して独自のルートから入手してきてやったというのに……」
「僕は四島の生涯に興味なんてありません。僕の愛読書は『足狩りサッちゃん』ですから」
 リュックサックから、鎌と人間の足を持ち微笑む女の子のイラストの描かれた本を取り出す。烏丸は切れ長の目に軽蔑の眼差しを浮かべた。
「なんだその不必要な暴力・性的描写にあふれた公害物質は。四島文学と比べようとは神への冒涜としか言いようがないわ」
「四島なんてただの筋トレマニアじゃないですか!」
「ただの筋トレマニアじゃない、偉大な筋トレマニアだ」
「いいですか、映画って言うのは娯楽なんですよ? それなのに部長が持ってくる作品ときたら個展だとか社会風刺だとか心象風景だとか映像美だとかそういうのばかりじゃないですか!」
 眼鏡をぎらつかせながら黒木がまくし立てる。部長好み以外の映画も観たい、という点には、八神は内心で同意した。だが、今はそんな話をしているような場合ではない。もっと差し迫った問題があるというのに、この二人は実にくだらないことで議論を白熱させている。八神の中に苛立ちが蓄積されていく。
 烏丸がまた机を叩く。ティーカップがわずかに浮いて音を立てる。
「商業主義に乗せられた俗物め。映画は娯楽ではない、芸術だ!」
「映画は娯楽です」
「映画は芸術だ」
「娯楽です」
「芸術だ」
「いい加減にしてください二人とも! 映画が娯楽とか芸術とか四島の趣味とか、そんなことどうだっていいでしょ!」
 いままで黙っていた八神が立ち上がり一喝する。普段、怒鳴ることがないので-、二人も驚いたらしく、言葉のキャッチボールをやめた。烏丸と黒木の視線が八神に集まる。
  場が静まったところで、 八神は言葉を続けた。
「今、重要なのは、このままでは映画研究部が廃部になりかねないってことです」
「来年、新入部員がなければの話だろ? 俺には関係ないな」
 烏丸がわざとらしくそっぽを向く。八神の通う白鷺高校は、今年度に入ってから部員が三人未満の部活は廃部になるという学則ができてしまった。現在、映画研究部の部員はちょうど三人。さらに、部長である烏丸は三年生なので、留年でもしない限り来年度にはいないのだ。もしも、部員が一人も入らなければ、即廃部である。今の映研部は、ぎりぎりの綱渡りをしているのだ。
 黒木が批難がましい顔をした。
「烏丸部長、自分が今年で卒業だからって無責任ですよ。自分さえ良ければ他がどうなってもいいんですか」
「自分さえ良ければ他人がどうなってもいっこうにかまわん」
 今しがた、四島由紀夫の割腹自殺に涙した男とはとても思えないな。八神は心の中でため息を吐く。今日、これで幸せの妖精を何匹死に追いやったのかわからない。
「とにかく、今から部員獲得の策を練る必要があるんです。で、俺はずっと思っていたんですけど」
 八神は言葉を切る。自分の横と前に座る男たちの顔をぐるりと見る。
「映画研究部って、映画を観る部活じゃなくて、映画を撮る部活でしょ」
 一瞬、狐につままれた顔をする二人。目の前の部長の顔に陰が入った。わずかに眉を寄せて目を伏せる。その様子に気をとられていると、隣からガタリと音がした。黒木が両こぶしを握り、仁王立ちしたところだった。
「そうですよね、僕もそう思っていたんですよ!」
 後輩の同意を受けて、八神は勇気付いた。自分の考えは間違っていない、と確信する。絶対にこれはいける。八神もまた、椅子を蹴って立ち上がる。
「だから、これから一年かけて撮りましょう! 新入部員の心をわしづかみにするようなハイクオリティ映画を!」
「却下」
 にべもない一言に、思わず全身の力が抜ける。
「部長、なぜ」
 烏丸は紅茶の芳香の残るカップを持って、準備室のほうに歩き出した。こんな弱小の部活に、なぜ流し台つきの準備室があるのかはなはだ疑問だ。
 窓辺でふと立ち止まると、締め切られた暗幕を開く。梅雨入りする前の明るい日差しが部室に注ぎ込まれた。
「撮る側に興味はないんでな。放課後にシアター代わりの部室で映画鑑賞……それが日常生活に傷ついた俺の心を癒す唯一の手段なんだ」
「部長、クラスでいじめられてませんか?」
「だいたい映画制作なんて金もかかるし時間もかかるし面倒くさいし。やってられるか」
 烏丸がこういう反応を取るであろうことは予想の範疇だった。八神は事前に彼を懐柔する手段を考えてきていた。
「ならば、俺は今日限りで部活をやめます」
 烏丸の動きが止まる。準備室に向いていた身体を、こちらにひねる。
「部員三人未満の部活は即廃部。部長の心を癒す唯一の手段が絶たれてしまいますね」
「八神。お前、自分がどれほど残酷なことを言っているのかわかっているのか」
「烏丸部長、俺は本気ですよ」
 しばしの沈黙とにらみ合い。烏丸は、白い陶器の中で銀のスプーンを回しながら、微笑する。天の雲から蟻を見下ろすような高慢な笑みだ。目の光は剃刀になっている。
「――だがどうやって撮影する気だ? 十五年前のマリア像事件以来、映画研究部の所有する機材はすべて破棄されたはずだが」
 烏丸部長は窓の外をあごで示す。黒木が反応して首を伸ばす。八神は見なくても何を指しているのかわかった。中庭にあるマリアの首がない聖母子像のことだ。
  かつて、映画研究部が聖母子像の首を撮影道具の手製爆弾で吹き飛ばした事件があった。白鷺高校は、現在はかなり宗教色も薄れてしまったが、歴史あるキリスト教系の学校だ。とてもいたずらで済ませられる行為ではない。部員全員が処罰を受け、部は廃部になった。その後、同好会から再び部活として認められるようになるまで、六年を要した。
 地位を貶められた映画研究部には、カメラは愚か三脚のひとつすらない。生徒会から出される年間一万円という予算が、そのまま部活の地位を現している。ちなみに、毎年全国大会に出場する吹奏楽部には、六十万円が支給されている。演劇部は八十万円だ。
「ご心配には及びません」
 八神は、黒い学生鞄から用意していたものを取り出した。手中にある心地よい重みに陶酔しながら、シルバーのボディを部長に向ける。
「俺がデジタルビデオを持ってるんで、それで撮影しましょう」
「そんなもの学校に持って来るな! 盗撮目的と勘違いされたらどうするんだ! だいたい、デジカメなんぞで映画が撮れるか」
 心底あきれたまなざしを向ける烏丸の言葉を受け、黒木が得意げに身を乗り出した。まるでそれが自分の手柄であるかのように。
「古いですよ部長。最近のデジカメは性能がどんどん上がって、フィルムとほとんど優劣のない高質な撮影が可能なんですよ。日本でもハリウッドでも今時は大半がデジタル撮影で……」
「もういい、黙れ」
 スプーンを回す手を止め、低い声で立て板の水をさえぎる。こんな氷より冷たい口調で拒絶されると、普通の人間は胸がしぼんでしまいそうだが、黒木は相変わらずハイテンションだった。この無神経さはある意味すごいと八神は思う。
「僕のマイパソコンには従兄からもらったプロご用達編集ソフトが入っていますから、それで特殊効果をバリバリ使いましょう!」
「……まあいい。そんなに撮りたいのなら撮らせてやってもいいぞ? ただし条件がある」
 俺は手伝わんがな、と付け足しながら、烏丸はにやりと笑った。
「お前らを含めるとしても最低三人は役者がいろう。誰か一人でいい、明日までに役者を見つけてこい。そうすれば撮影を認めてやる。なんなら費用は俺のポケットマネーから恵んでやろう」
「金持ちの一人息子だからってめちゃくちゃ嫌味ですよ、それ」
 八神は呆れていた。と、腕を急に引っ張られる。黒木のおかっぱ頭が横に現れた。眉間にはしわがより、頬は張りつめている。
「本当ですね部長。やりましょうよ八神先輩。一人くらいなら連れてこれますよ!」
 黒木は本気のようだった。八神も、まさか本当に部長に金を出させるつもりはないが、高慢な彼に一発叩き込んでやりたくなった。それに、どのみち役者は必要だ。
 烏丸は黒木の身長に合わせて身をかがめた。顔を近づけて眉を下げ、目を口端を吊り上げた。人を小ばかにするときの顔だ。
「ほうほう、いかにも友達少なそうなお前らが、進んでスクリーンにわが身をさらけ出そうなどという露出狂をなあ」
 反論したかったが、前半は事実だったので何も言えなかった。
「どんな相手を連れてくるのか、楽しみにしているぞ」
 烏丸は身をひるがえすと、準備室の中に消えていった。数秒後に水道水の流れる音がした。

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