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名探偵はいない(四)


「ただいまー」
 ふてくされた顔で夏樹が言う。黒木も漂流生活から帰還したかのような疲れきった顔をしていた。そして聞いてもいないのに訳を説明し始めた。
「夏樹さんを見つけて帰ってくる途中で噂好きに捕まりましてね。もうどうしようかと思いましたよ。何とか振り切れたからよかったですけど」
 一通り愚痴をこぼすと、前触れもなく話を切り替える。
「さてと、では推理の続きをしましょうか!」
 顎に手を当てる黒木。こいつ、本当に嬉々としてるな……退屈な学校生活に変わり映えがしたことを楽しんでいるのだろう。特撮映画などの非日常要素の強いジャンルを好むことからも、そういった性格が読み取れる。
「まずは犯人が部長の意識を奪った手口が気になりますね」
 八神は、自分の意見を述べる。
「たぶん、紅茶に睡眠薬を混ぜたんだろう。素人が気絶させるほど殴るのは難しいし、大きな外傷があると事件性を疑われてしまう。睡眠薬が一番手っ取り早い」
「でも、睡眠薬って意外と手に入らないわよ。薬局で売っているのはそんなすぐに眠くなったりしないし。病院で処方してもらわないと……」
 夏樹が口を挟む。経験者としてのもっともな意見だった。だが、残念なことに映画研究部には、睡眠薬を安易に入手する方法があった。
 黒木が小走りで準備室に向かう。開け放たれた扉の向こうに、棚の引き出しをあさる姿が見えた。何をしているのかと夏樹が中腰になって視線を投げた。すぐに黒木は戻ってきた。
「やっぱり。部長の睡眠薬が不自然に減っています。犯人はこれを使ったんですよ」
 手に戦利品を提げ、勝ち誇った顔をする黒木。
 烏丸は不眠症を患っていた。というよりは、軽い神経症だったのではないかと思う。布団に入っても激しい動悸に襲われて寝付けないと漏らしていた。また、理由は知らないが、鎮痛剤も大量に買い置いていたはずだ。
「何で部室に薬を放置してんのよ、そいつは」
 夏樹の疑問はもっともだった。
「手元にあるとつい余計に使ってしまうから、必要量以上は部室に隠してるんだって」
「何それ、社長息子のお坊ちゃまが薬物ジャンキー?」
 呆れたように返される。まあ、そう思われても仕方がないかもしれない。
「部室には、けっこう部員の私物が放置されているからね。俺の文庫本とかもあるし」
 フォローとも言えないフォローを入れる。
 棚には、食器と一緒に二十冊近い本が並べられていた。始末する予定だった古本を、どうせなら部員で共有できるようにと持ってきたのだ。
「定期試験中とか便利ですよねー。あれって机に教科書を残してたら怒られるじゃないですか。家に持って帰るのは重たいし、僕、全部部室に一時避難させてます」
 黒木が付け加える。試験勉強しないのかよ、と心の中で思う。
 いずれにせよ、部員間に信頼関係が成立していなければこんな真似はとてもできない。烏丸部長は、我々のことを信じていたから薬を放置したりしたのだ。それがまさかこんなことになってしまうとは、想像もしなかっただろう。たとえ、部員以外の仕業だとしてもだ。
 そう思うと、烏丸のことが不憫になった。
「紅茶やらココアやらコーヒーやら、砂糖だとか、文庫本だとか、睡眠薬だとか、何でも置いてあるのね、この部室」
 準備室を覗いた夏樹の、感嘆の声がする。八神は、若干誇らしくなる。
「ビデオ観るだけの部活だからなあ、できるだけ居心地が良くしてあるんだ。ちなみに、コーヒーメーカーは卒業した先輩が持ってきたやつ。湯沸かし器とティーポットは烏丸部長の持参で、飲食物は俺が買い込んでくるんだ。食器は各々マイカップにマイ皿だし」
「まあ、美術室にもお菓子とかカードゲームとかあるけどさ……」
 六畳ほどの準備室に、実にさまざまなものが置かれている。それらを一通り眺めた後、夏樹は部室のほうに戻ってくる。
 満面の笑みを浮かべながら、黒木が横髪を掻き揚げる。
「さあ、犯人の足取りがつかめてきました。おそらく犯人は、部長の飲む紅茶、あるいは砂糖にでも睡眠薬を入れて、意識を奪った後、ドア付近まで運んで首をコードに引っ掛けたんです」
「それから部長が発見されるまでにたいした時間はかかってないよな。首吊りは五分以上経過すると後遺症や命の危険が生まれるらしいし……部長はそういうのがなかった」
 二人は、事件当日のことをおさらいする。

 まず、八神と黒木は二人で教室棟から特別教室棟まで移動した。ここはかなり離れているので、それだけで五分はかかったと思う。そして、美術室で夏樹と合流する。

「そうそう、あの時、間違い電話がかかってきたんですよ。ほら、履歴」
 よほど頭に来たのだろう。絶好調だった黒木の顔が見る見る険悪になった。ズボンのポケットから携帯を取り出し、液晶を見せてくる。
 八神は自分の目を疑った。
 映し出された数字を認識した瞬間、あまりにおぞましい感覚が走った。全身を、無数の小虫が足をがさつかせながら這い上がる。ざわり、ざわり。その感覚が顔まで上った時、急激な吐き気がした。思わず口を押さえる。

 ――嘘、だろ? この番号って……。

 訳がわからなかった。

 八神の脳裏に、金庫にしまい込んだ記憶がまざまざと蘇る。

 ――さあちゃんは、自殺したはずなのに。

「どうしたんですかー? 八神先パーイ?」
 黒木が、目前で手を上下に動かしている。
 この殺人未遂事件が、想像していたよりずっと恐ろしいものに感じられてきた。犯人は生きた人間ではないのかもしれない。だが、どうして烏丸部長なんだ? それに、どうして黒木の電話なんだ? それこそ、何の関係もない二人なのに。
 後輩の、両肩をつかむ。
「お前、気をつけろよ。お払いとか、やったほうがいいかもしれんぞ」
「何言ってんですか?」
 黒木の能天気な顔に救われた。八神は、すぐに意識を切り替える。犯人は誰だったとしても、必ず生きた人間だ。

 それに今は、部長を発見するまでの足取りを確認していたのだ。

「いや、なんでもない。で、それから俺たちは部室で部長を発見したんだ」
 黒木がうなずく。夏樹は、さして興味がないようだった。
 考えても、ひらめきは浮かばない。
 そもそも、これは本当に殺人未遂なのか?
 状況から見て、自殺は不自然だと判断したのは八神自身である。だが――人を殺すというのは、並みたいていの覚悟ではできない。何かの拍子で、突発的に殺してしまうことはあるかもしれない。だが、殺人と仮定するならば、これは明らかに計画的だ。しかも、自殺に偽装する辺り、かなり陰湿だ。そして、犯人は、そんな作業を冷静に淡々とこなすことができる、頭の良い人間だ。
 同じ学校内に、そんな残酷な人間がいるなどと、信じたくないし信じられない。
 しかし、自殺はやはり考えにくいのだ。その根拠はいくらかある。
 まずは、すでに述べた、机の紅茶とビデオテープだ。死ぬ前に最後の紅茶を……というのは考えられなくもないが、ビデオのほうには手がつけられていなかった。それはおかしい。努力の報われないごんを見て絶望のあまり死にたくなったのなら、ビデオはデッキに入れられているはずだ。机の上に、ケースに入れられたまま放置されているのはありえない。そこに何か意図でもなければ。
 次に、放課後、部活動前に部室で首を吊ったという点だ。これでは、後から部室を訪れるであろう八神たちに発見され、死に切れない可能性がかなり高い。事実、未遂で終わっている。本当に死ぬ気があるのなら、すぐには人の訪れない時間帯や場所を選ぶだろう。
 部室で首吊りには他にも不自然な点がある。それは、世間体の問題だ。烏丸は金持ちの子供ではあるが、決して甘やかされて育ったタイプではない。普段の立ち居振る舞いにそこはかとない気品があった。「烏丸グループの御曹司」としてのしつけを存分に受けていたはずだ。そんな人間が、よりにもよって公共の場である学校で自殺を図るものだろうか。親にも会社にも迷惑がかかるし、家名にも傷が付く。普通は――烏丸の性格を考慮しても――自分の部屋で死ぬはずだ。そうすれば、騒ぎは大きくならない。その気になれば、自殺という事実を隠すこともできる。
 頭の中で、カチッと、音を立てて何かがつながった。
 前提が間違っていたのではないのか?
 烏丸洋介は、本当に死ぬ気があったのか?
 紅茶やビデオを置いたのは、わざと不可解さをかもし出すためで……。部活前に首を吊ったのは、すぐに救出してもらえるためで……。学校で自殺を図ったのは、騒ぎを大きくするためで……。

 …………?

 烏丸部長は、一度だけ、ふと教えてくれた。自分が映画を学校で観るのは、家にいる時間を減らすためだと。家に帰ると、勉強しなければいけないからと。
 睡眠薬を常用しないと寝付けないほど神経質だったこと。「烏丸家の息子」ということで初対面の女に罵倒されたこと。コーヒーをかけられたこと。窮屈な素養を身に着けさせられたこと。

 そうだ。嫌だったんだ。あの人は。明らかなことじゃあないか。

 これは、復讐だったのだ。烏丸洋介の、身体を張った。

 そう考えると、すべてがものの見事に符合していく。

「フフフ……アッハッハッハッハッハ!」
 突如響く高笑いに、まとまっていた八神の思考が決壊していく。
 恨めしい思いで声の主を見る。黒木が、鬼の首を取ったようにしてAVケーブルを掲げる。
「わかりましたよ、犯人が」
 八神は目を見開く。さっきまで考えていたことなどすっかり吹き飛んでしまった。視線はケーブルに注がれ、顔からは血の気が失せていた。
「本当か、黒木」
 大きくうなずく。黒木は、得意げに推理劇を披露し始めた。
「まず、教室棟から移動してきた僕と八神先輩は容疑者から外れます。部室で烏丸部長をくくってから教室棟に移動、それからまた部室に移動。そんなことをしていたら部長は確実に死んでますから」
 八神は嫌な予感した。そしてその予感は的中した。
「僕の推測では、犯人は同じ校舎内の人物となります。――そうですよね、夏樹さん」

 夏樹に向かい、ビシッと人差し指を伸ばす。彼女の顔が見る見るこわばる。黒木は一息に言い切った。

「犯人はあなたです。あなたは部長の首をくくって美術室に戻り、何食わぬ顔をして僕たちとまた映画研究室に行ったんだ。あなたなら五分以内に部室との往復はできたはずです」
 顔を赤くして、半ば叫ぶように反論する。
「馬鹿言わないでよ! 私以外の生徒である確率はかなり高いでしょ。特別棟には他にも生徒がいたのよ? それに、犯人はすぐに校舎を離れると考えるのが普通じゃない」
 黒木は、待っていましたと言わんばかりに口端を吊り上げ、コードの存在をさらに強調しようと手を上げる。
「部長の首に巻かれていたコードに、わずかながら絵具がついていました。そんなものがついてしまうのは美術部員のあなただけだ!」
 八神は耳を疑った。あり得ない。
「おい、黒木、本当に絵具が付いていたのか?」
「ええ。ほらここに」
 八神の側に歩み寄り、目の前に手のものを突きつける。八神は丹念にそれを見た。
 たしかに、絵具が付いている。
 群青色の。
 なぜだ。
 声を出せずにいる八神に背を向ける黒木。その目はすでに夏樹を捉えていた。
「そして何より強い動機を持っている。さあ、もう言い逃れはできませんよ。白状したらどうです」
 まるで別人のようだった。眼鏡越しでも、らんらんと光る瞳がわかる。なぜ、黒木はこんなにも楽しそうなのだろう。どう見ても三枚目な脇役である自分が、注目を集めている快感に浸っているのだろうか。なんにせよ、調子に乗りすぎだ。
「わた、私じゃない!」
 後ずさりしていく夏樹に、黒木はにじり寄っていく。
「正直に自首すれば罪は軽くなるんです」
 このままではまずい。やたらと調子に乗っている黒木の手によって夏樹が犯人にされてしまう。それだけは避けなければならない。八神は、考える前に口を開いた。
「俺は違うと思うよ。夏樹さんは犯人じゃない」
 くるっと、高速で黒木の首が回転する。少し驚いた。
「八神先パーイ、自分の活躍を取られたからって、負け惜しみはよしてください」
 片側の眉だけ下げながら、嫌味ったらしく笑ってみせる。
 何、こいつすごくムカつく……。八神はこの後輩に軽く殺意を覚えた。
 できるだけ落ち着いて言葉を選ぶ。下手な揚げ足を取られないよう、舌の上で転がしてから。
「俺たちが美術室に着いたとき、夏樹さんの手は絵具で汚れていた」

 事件の真相はこの際どうでもいい。一番優先するのは夏樹を守ることだ。

「だからコードにも絵の具がついたんでしょう」
「そもそもそれがおかしいだろ。人を殺しに行くのに、絵具の付いた手で行ったりするかよ。普通は汚れたりしないように綺麗に手を洗ってから行くだろう」
 自分がついていた絵具を落としておいたことには触れない。
 黒木は、少し考えてから答えた。
「そう思わせるために美術室に戻ってきてから絵具を手につけたのかもしれません」
「それに、これ、乾いてるだろ」
 コードをひったくって、汚れている部分を手でこする。黒木はそれがどうしたと言わんばかりの顔つきだった。
「油絵具って、乾くまでにかなり時間がかかるんだ。これは生徒なら誰でも持っている速乾性の強いアクリル絵具だよ」

 ――油絵具って乾くまで何日もかかることもあるから、暇つぶしになるわ。

 先日の夏樹の言葉を思い出す。

「私、油絵専門でアクリル絵具は使わないわ」
 すかさず答える夏樹に、八神はうなずいてみせる。
 黒木は、腕を組んで険しい表情をした。
「なるほど。絵具自体がひっかけだったとは……やりますね、夏樹さん」
「だから、犯人じゃないっての!」
 この男は何が何でも夏樹を犯人にしたいらしい。それとも、一度言い出したことを撤回できない性質なのだろうか。黒木ならありそうだ。
 八神は、軽く息を吐く。
「夏樹さんが犯人じゃない別の根拠がある。部長が引き出しの睡眠薬で眠らされていることだ」
「それがどうしましたか」
 今度は、表情のみでなく、はっきりと口に出してそう言った。
「夏樹さんも睡眠薬を持っているんだ。睡眠薬は手に入りにくい。自分が持っているなら、これ幸いと絶対それを使うだろう」
「先輩が言っているのは烏丸部長が睡眠薬を常用していない場合の話です。部長も睡眠薬を持っていて、それが簡単に手に入る状況だったなら、心理的に自分の持ち物ではなく部長の分を使うのは当然です」
 鋭い指摘に、いささか感嘆する。黒木に対して、オタク思考なひ弱い少年のイメージしか今までなかった。正直、内心では彼を低く見ていた八神だが、それは大きな間違いだったらしい。
 だが、黒木の説には穴がある。
「そもそも、その考えがおかしいんだよ。部長が睡眠薬を常用しているだなんて、そんなプライベートなことをどうして夏樹さんが知っているんだ。仲だって悪かったのに」
「それは……」
「それに、紅茶に睡眠薬を仕込んだということは、部長がビデオ鑑賞時に紅茶を飲む習慣を知ってたってことだが、そんなこと夏樹さんは知らないよな?」
「知るわけないでしょ」
 即答する夏樹。黒木の顔にあせりと悔しさが浮かんでいた。八神は、静かに続ける。
「当たり前さ。昨日、初めて部室で顔合わせしたんだから」
 黒木が急に悲鳴を上げた。脳みそがショートしたか……と思ったが、そういうわけではなかったらしい。こぶしを握って力説する。
「わかった! 夏樹さんは実はツンデレで部長のストーカーだったんだ。だから部長の細かい癖や習慣まで知り尽くしていたんだ! きっとお風呂で体を洗う順番まで綿密に知っているに違いない」
 八神は黒木の発想力に畏怖を抱いた。
「なるほど、ツンデレがちょっと行き過ぎて殺人未遂まで発展したというわけか。面白い発想だけどいろいろ破綻してないか?」
 まあ、夏樹がツンデレ属性ということだけは認めておくが。
「私はツンデレでもなければストーカーでも人殺しでもないわよ!」
 夏樹が声を荒げて否定する。
 八神は、場がある程度静まるのを待って、口を開いた。
「俺の考えだと、犯人は部長が部室で行う習慣を知り尽くした人間――身内、じゃないかと思う」
「……つまり、映画研究部の人間だと……って、ことは」
 黒木の表情が変わる。
「八神先輩、あなたが犯人だったんですか!」
 彼の捨て身のギャグに、勤めて冷静に切り返す。
「俺はお前が犯人だと思うよ。黒木」
 黒木の動きが止まる。それから口元が今までとは違う形にゆがむ。その顔つきに、薄ら寒いものを覚えた。
 黒木の口調は平坦で、むしろ今までよりも余裕に満ちていた。
「何を言っているんですか。さっきアリバイを説明した矢先に。僕と八神先輩には犯行は不可能です。ま、八神先輩が及びもつかぬ方法で部長の首をくくったという可能性はありますが、僕としてはあくまで夏樹さん犯人説を主張します。もしかして、あなたたちは共犯ですか?」
「お前はよほど夏樹さんを犯人にしたいようだが、俺もまた、よほど夏樹さんを犯人にしたくないんだよ」
 互いに沈黙を守り、対峙する。黒木の顔は、少し前に見たデスマスクに変貌していた。常日ごろ自分の感情を実直に表していた彼の顔。その皮を一枚剥いだら、これほどまでに無機質な存在があらわになるのだろうか。彼の本音がどちらにあるのか、八神は永遠に知る機会を失ってしまった。そんな錯覚。もう二度と、黒木が一分前の黒木に戻ることはないような、そんな思いが湧き上がった。
「面白い」
 黒木の口元に切れ目が入る。そして、眼鏡に手を伸ばすと、無造作に外した。彼の瞳からレンズというフィルターが取り払われる。
 それは人間の目ではなかった。
 雛鳥の卵を丸ごと呑みこむ、蛇の目だった。
 透明な手で身体をわしづかみにされたように硬直する。目の前の後輩に、年下で身の丈も低いこの男に、八神は初めて恐怖を抱いた。
「では説明していただきましょうか。どうして僕が犯人になるのか」

八神先輩? そう付け加えた時にはもう黒木は黒木ではなくなっていた。八神の知らない、冷徹な何かになっていた。

 自分はこの正体不明な「何か」と戦わなければならない。
 乾いた唇を舌先で湿す。
「……映画研究部の人間だとすると、犯人は俺、黒木、それから烏丸部長自身のどれかだ」
「ええ」蛇は微笑しながら肯定した。
「俺は自分が犯人ではないと思ってるから、黒木、お前の犯行か、部長の狂言自殺かってことになる。部長が何らかの理由でわざと不自然な自殺をやらかして、俺たちに発見させた……というのも考えた。でもそれでは不可解なものがある。それがお前にかかってきた間違い電話だ」
「ほう?」わざとらしく小首をかしげる。
「……まあ、それがどう不自然なのかは置いておく。まずはお前がどういう手順で部長に首吊りをやらせたのか」
「はい」
「まずお前は、部長を眠らせてドア付近まで運んだ。それから部長の頭が通るくらいの輪をコードで作り、ノブに引っ掛けておいた。でもこの時点では、まだ部長の首はくくられていなかったんだ。その後お前は悠々と俺のところに迎えに来て、美術室まで移動した」
 ゆっくりと、自分の考えを確認するように述べていく。恐ろしい話だった。烏丸の首を吊る準備をしたすぐ後に、黒木は自分と一緒に歩いていたのだ。階段前で立っていた彼に、普段との違いなど微塵も感じられなかった。
「それじゃあ、いったいいつ、『僕』は部長の首を絞めたんですか?」
 眉を持ち上げ、おどけた表情を作った。しかし、相変わらずその目は蛇であり、その顔はデスマスクだった。
「間違い電話の時だ。あの時、お前は電話に出るふりをして俺たちから離れ、部室まで移動したんだ。コードに首を通すくらいなら、ものの十秒でできただろう。それから頃合いをみて再び美術室に戻ってきた」
 黒木は目を見開き、裂けるほど口を開けた。その笑い声は、呪詛の言葉よりも怖気の走るものだった。
「アハハ、それって矛盾してませんか? 『僕』は部長を殺したかったんですよ。どうして彼がすぐに発見されるような状況を作るんですか。わざわざそんな手間のかかるまねをしてまで!」
 八神は目を閉じる。そうしなければ、意識を呑み込まれてしまいそうだった。できるだけ平然を装い、口を開く。
「俺もそこが疑問だったのだが、生き生きと推理するお前の姿を見ていてわかったよ。お前は初めから部長を殺すつもりなんてなかったんだ」
「おやおや、おかしなことを言うんですね」
「実際、お前は部長が死んだり、後遺症を残したりしないように最善の努力をしている。オーソドックスな天井からの首吊りではなく、ドアノブにコードで引っ掛けるだけにしたのも、すぐに助けられるようにだろう」
 そうだ。間違い電話を装ったり、ぐずる先輩にじれて無理やり扉を開けたり。怪しまれるリスクを高める行動を、それでも取っている。それは、黒木が部長を死なせたくなかったからに違いない。目の前にいる狂い蛇が、烏丸の死を厭った。
 黒木は人間の心を持っている。だが、あえてデスマスクを被り蛇の目つきを備えた。なぜだ。そこまでしなくてはならないほどの、何が彼にあったのか。
 八神は、気圧されないだけの強い声を出した。
「お前の本当の目的は、夏樹さんを犯罪者にすることだったんだ!」
 目を開けて夏樹のほうを少し伺う。口に手を当て、真っ白な肌をしていた。どうしてここで自分の名前が出てくるのか、理解できないといった様子だ。
 一瞬、感情を失った黒木だが、すぐにまた道化の笑いを浮かべる。挑発的なしゃべりをしながら、携帯電話を見せびらかす。
「……へーえ。では、この着信履歴はどう説明します? そうそう都合よいタイミングで電話がかかってきたりしますか?」
「それはお前が自分でかけたものだ」
 意表を付かれた顔をする。よく知る黒木の面影が現れた。
 それを見て、心が活気付いた。
「お前は部室へ行く道すがら、自分の携帯に着信を入れたんだ。黒木、お前、携帯二つ持ってるだろ。荷物でも調べればすぐにわかることだ。その履歴と同じ番号の携帯電話が必ず出てくる」
 たぶん、絵具のチューブもな。
 黒木は口をつぐんだ。剥き出しの敵対心で、八神をにらみ続けている。だが、八神は目をそらさない。同じようににらみ返す。敵対心ではなく誠意を込めて。
「それに、AVケーブルに付いていた絵具。あれ、あり得ないんだ。だって、お前が夏樹さんを追って部室を出ている間に、俺は先にコードを調べていた。その時に、付いていた絵具は落としてしまったんだから」
 目が大きく見開かれる。
「八神先輩、あんた……」
「ああ。俺は夏樹さんをかばって絵具を落とした。それで真相がうやむやになっても、かまわないと思ってな」
 ――黒木は夏樹を追い詰めるために偽の証拠をでっち上げた。しかし後で見てみると絵具が消えている。焦ってもう一度絵具を付けたのだろう。それが余計に不自然な事態を作り出してしまったのだ。
 黒木は何か言いかけたが、黙って口を閉じた。何を言っても墓穴を掘るだけだとわかっているのだろう。
 やがて、視線がやわらぐ。ズボンのポケットに手を入れると、もうひとつ、ホワイトカラーの携帯電話を取り出した。
 二つを手にぶら下げ、抑揚のない声を出す。
「……どうして、僕が携帯電話を二つ持っているとわかったんですか?」
 悪あがきはなかった。あっさり過ぎるくらい、綺麗に犯行を認めた。
 八神は目を伏せる。胸の奥が痛むのを感じた。
「その番号が誰のものなのか俺は知っている。その人が間違い電話なんて絶対にかけられないということも」
 開き直った態度で、黒木は大笑いした。
「参ったなあ、もう。八神先輩ってこんなに頭よかったんだ」
 そんな暴言にも、怒る気になれない。怒るより何より、気の合う後輩だった黒木がした行動に対する悲しみがコップ一杯になっていた。
「黒木、どうしてだよ? 夏樹さんがお前に何をしたんだよ?」
 黒木は笑うのをやめた。しばらく沈黙していたが、やがて、静かに口を開く。
「爽夏ちゃん」
 生暖かい空気が流れる。
「あなたたちの中学時代の同級生ですよね」
 夏樹は三歩ほど離れた場所にいる。いつも気張った彼女の唇が、かすかに震えていた。瞳孔が小さくなっている。
 八神もまた、静かに答えた。
「ああ。どうしてお前が爽夏の携帯電話を持っているのかは知らないが」
「僕と彼女は付き合っていたんですよ!」
 堰を切ったように叫ぶ。財布から一枚の写真を取り出し見せ付ける。ぎょっとした。
 そこには、寄り添う男女が写っていた。長い黒髪の少女と、隣にいるのは、髪も短いし眼鏡もかけていないが、黒木の面影があった。
 八神の瞳は、うら若い少女の姿に釘付けられていた。濡れ烏の髪に、月光色の肌。緩やかに曲線を描く眉。セピア色の瞳。穏やかな微笑をたたえた口元。笑うとできるえくぼ。
 間違いない。爽夏だった。
 まさか、こんな形で、今ひとたび彼女の姿を目にするとは思いもしなかった。
 ――黒木に、恋人が……。
 しかも、相手はさあちゃんだ。夏樹のように、自己主張の強い華やかさを備えた女性ではなかった。だが、つかめば消えてしまう蜃気楼のような、控えめな美徳を持っていた。そんなさあちゃんと、どうして黒木が付き合っていたのか。失礼だが、釣り合いが取れているとはとても思えない。
 何よりもそれが疑問であり、衝撃だった。
 黒木は、八神の内心を見透かしたように言った。
「八神先輩、どうせ僕のことは二次元美少女にしか興味のないイタイ男だと思っていたんでしょ。俺に彼女がいないのに、黒木に彼女がいるわけねー、とか思ってたでしょ」
 ――思ってました。すみません。
「僕のじいちゃんが老人ホームに入っていましてね。僕は学校に行かない分、暇をもてあましていたんで、よく遊びに行ってたんですよ。そこの慰問会に来ていた爽夏ちゃんと知り合いました。骨と皮になって半分ぼけたじいちゃんが僕らを引き合わせてくれたんです」
 爽夏は、その手のボランティア活動が好きで、積極的に参加していた。将来は介護福祉士か、保育士になりたいと、目を輝かしていたのを思い出す。
 そんなにして夢を教えてくれたさあちゃんが、恋人ができたことを自分に話さなかったことに静かな悲しみを覚えた。
「しかし、先輩が彼女の携帯番号を暗記していたのは誤算でしたね。先輩のケー番、登録されてなかったと思ったのに」
「ああ。俺は高校に入ってから携帯を買ったからな。でも『さあちゃん』は俺の家の電話なら暗記してたぞ。相談ごととか、よく俺にしてきたんだ」
「さあちゃん」のところを強調してみた。そのニックネームこそが幼馴染の特権なのだとでも言うように。
 黒木は、ふうーん、と鼻を鳴らした。手に提げている携帯をじっと見る。
「この携帯、爽夏ちゃんのですけど、僕名義で契約してたんです。今でも解約してません。自分の持っていた携帯は、いたずら電話がかかってくるから、新しいのがほしいって、でも、親に知られたくないって言ってたから。だから僕名義で契約したんです。……何でそれほど深刻ないたずら電話がかかってきて、それでいて親に相談もできなかったのか。それは、クラスでのイジメだったからですよ」
 目つきが険しくなる。世界中の愛を束にしても、マザーテレサが何を訴えようと、絶対に覆せないほどの憎しみが眼光に宿る。まじりっけのない感情だった。
「爽夏ちゃんは、イジメに耐えかねて自殺したんだ、自室のドアノブで首を吊ってね! 僕が一番初めに見つけた。爽夏ちゃんと出かける約束をしていて、家まで行ったらもう死んでいた」
 天井を見上げて無感情に笑う。
「僕、あの時初めて知ったんですよ。ドアノブでも首が吊れるんだって」

 顎を引いた黒木の目線は、まっすぐと夏樹をとらえた。夏樹はしゃがみこみ、口を手で覆い隠していた。顔面が鉛のように白い。

「そして、その原因を作ったのは夏樹さん、あんただよ! 家のことでイジメを受けていたあんたをかばったから、標的があんたから爽夏ちゃんに移ったんだ!」
 夏樹の、目からスカートへ、ボロボロと涙が落ちていく。
 それでも黒木は容赦しなかった。
「あんたは内心ホッとしていたんだろう、自分が標的から外れたことで。あんたは彼女をいけにえにしたんだ! 自殺するほど追い詰められた彼女を、お前は助けようともしなかった! 見捨てた! 自分には関係ないから! 傍観者も加害者と同じなんだよ。この人殺し」
 八神の中で、今まで構築されてきたものが次々と崩れていった。
 つい数日前まで、こんな事態が起こるなどと誰が想像できただろうか。
 俺たち、仲良くやっていたじゃないか。そりゃあ、部長と映画のことで時々衝突したりはしたけど……。夏樹さんとだって、試験前には一緒に勉強したり……。それが、どうしてこんなことになってしまうんだ。
 俺が壊したのか? 
 自分のつちかってきた人間関係など、所詮は違法建設アパート程度のものだったのだろうか。ちょっとしたきっかけで、粗が露見し、ちょっとした揺さぶりで、もろく崩れ去る。
 八神は、うめき声を上げた。
 黒木の自分語りが続く。
「僕は、彼女の携帯を形見として持つことにしました。携帯のメールと写真を見て、夏樹さんの存在を知った。それまでの経緯もだいたいわかった。僕はずっと復讐の機会をうかがっていたんですよ、そこの女と同じ学校に入学してね! そのために通信制志望からこの高校へと進路を変更したんだ」
 死んだ彼女の携帯の履歴やメールボックスチェックするって、偏執的だろ……と、いささか八神の心が冷めてきた。
「彼女が死んでから、僕は悲しみを忘れようといろんなことをした。『サヤカちゃん』というヒロインの出てくるギャルゲーをやったり、エロ画像のモザイク外しに没頭したり。一人二役で爽夏ちゃんと携帯でメールのやりとりをしたり。

 爽夏『私、黒木くんのことだーい好き(ハート)』

 僕『僕も大好きだよ』

 爽夏『どのくらい??』

 僕『一メガバイトくらいさ』

 爽夏『私は十ギガバイトよ』

 僕『じゃあ僕は三百テラバイトさ』

 爽夏『じゃあじゃあ私はぁ……キュンキュン☆☆』

 ……でも何をやっても僕の心は晴れなかった!」
「それはお前のベクトルがおかしいからだよ」
 お前の心は大容量なんだな……。キュンキュンの意味するところを教えてくれ……。
 八神の指摘が耳に入っていないのか、黒木は相も変わらず自分の世界に没頭していた。
「そして、悟ったんだ。これは、復讐以外にないと」
 知らなかった。知ろうともしなかった。いつもすがすがしいほどお気楽で、悩みなんてひとつもないように見えた黒木が、こんなに辛い思いをしていたなんて。一人で脳内恋人とメールのやりとりする日々を送っていただなんて、ちっとも気づかなかった。
 部活仲間なんて、普段は楽しくやっていても、肝心なところではお互いに孤立しているものだ。
「お前がずっといじめられていればよかったんだ! そうすれば爽夏ちゃんが死ぬこともなかった!」
 細い肩を震わせる夏樹に、黒木の怒声が降りかかる。
 イジメのピークだったときでも、これほどまで精神衰弱した夏樹は見たことがない。彼女はどんなに辛辣な嫌がらせを受けようと、自分の弱みを見せることがなかった。だが――爽夏のことは、特別だった。自分一人の痛みなら耐えられても、他人の傷までは我慢できない。夏樹恵はそういう女だった。
 嗚咽交じりの声を絞り出す。
「わた、私……私、そうだよね。最低、だよね。ごめんなさい、私が、私が……」
「本当に悪いと思っているなら、今すぐ屋上から飛び降りて詫びを入れろ!」
 夏樹の嗚咽が止む。幻影のようにゆらゆらしながら、立ち上がる。終始無言、おぼつかない足取りで、出入り口へ進み始めた。
 八神は彼女の腕を掴んだ。しっかりと、その存在を確かめながら。彼女がハッとこちらを振り返る。
 刃物じみた八神の眼光に、わずかながら黒木がたじろぐ。ここぞとばかりに声を出した。今を逃したら、自分は夏樹を守ることも、黒木を救うこともかなわない。
「違う、夏樹さんは見てみぬふりしてたわけじゃない! 止めようとしてたんだよ、必死に! でも、あの時は仕方がなかったんだ。どうにもできなかったんだよ、あの状況は!それは俺も同じだった。俺はさあちゃんを助けられなかった。でも黒木、お前のやったことは絶対に間違っている!」
 黒き木の怒りがうまい具合に八神にシフトした。
 大げさに手を広げ、小ばかにした笑いを浮かべる。悪いものにとり憑かれたかのような、狂った顔をしていた。
「八神先輩なんかに、何がわかるって言うんですか?」
「わかるよ!」
 崩壊したダムのごとく、感情が溢れてくる。ずっと、胸に秘めておくつもりだった。少なくとも、夏樹の前では言いたくなかった。
「俺もさあちゃんのこと、好きだったんだよ」
 黒木の顔が正気に戻る。
 でもな。八神は言葉を続ける。
「本当に復讐しないといけない相手は、いじめていた連中だろう! そいつらを拉致して山小屋に監禁し火を放つとか、毎日不幸の手紙を送りつけるとか、その気になればいくらでも復讐のしようはあったはずだ」
「無理ですよ、はがき代はどうするんですか!」
「バイトしろよ。武士だって戦のないときは畑を耕していたんだぞ」
「うちの学校、バイト禁止だし……」
「お前の爽夏への想いはその程度のものなのか! 結局は、面倒だったから夏樹さんを標的に選んだだけだろう」
「ち、違う、そんなんじゃ」
「お前がやりたいのは敵討ちじゃない、ただの憂さ晴らしだ!」
 夏樹の腕を握ったまま、八神は腹の底から叫んだ。
 爽夏だって、こんなことを望んではいなかったはずだ。彼女は、自らの意志で、夏樹を守ったのだから。それでも耐えられなくて、悩んで迷って自殺したことを、一番後悔しているのはきっと爽夏なのだ。
 さあちゃんは自殺する直前、自分に電話をかけてきた。「ごめんね、さようなら」って。それから、「なっちゃんのこと守ってね」って。それっきりだった。翌日まで彼女の死を知りすらしなかった。
 爽夏の葬式のとき、八神は涙が出なかった。形だけでも泣ければよかったのに、泣けなかった。ただただ、合掌した手のひらが震え続けていた。
 あの時の参列者の中に、黒木もいたのだろう。
 だからこそ、許せなかった。
 同じように、いや、おそらく自分以上に、爽夏を好きでいた男なのに。それが、こんな結論を出してしまったということが。
「夏樹さん、……ごめん、なさい」
 長い沈黙の後、黒木の頬に一筋のしずくが落ちた。 

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