小説へ 

前へ 次へ

男の純情(ある意味病的)

五、来年の今夜今月この月を俺の涙で曇らせてやる


 特別教室棟の一回は職員室になっている。八神は職員室が好きではない。教師陣の庭ということもあって、やましくなくても息苦しく感じる。だからいつも職員室前は通らないように移動していた。
 今日もそれは同じで、廊下に出るとすぐに職員室へ背を向け、階段に向かう。
 その時。
 八神の胸倉を太い腕が引っ張る。思わず前のめりになる。息が苦しい。すごい力だ。
 突然の出来事にわけもわからず顔を上げて、八神の血が抜けていった。
 長い髪に見事な口ひげ。額には赤い鉢巻。泣く子も黙る学園の主、仁先生だ。
 どうやら突き当たりの生徒会室から出てきたらしい。うかつだった。そんな場所まで見ていなかった。ちなみに、反対側の突き当りには生徒指導室があり、生徒たちからは鬼門と呼ばれ恐れられている。
 殺される! 本気でそう思わせるオーラがあった。
「八神」「はい」返事しながら、とりあえずその手を離してくれと心の中で連呼していた。
「映画のほうは順調か?」
「え、あ、はい。順調です。もうすぐです」
「そうか」
 短く答える。仁は手を離すと、硬直する八神を残して職員室のほうへ歩き始めた。だが、その足音が途中で止まる。ギクッとした。
「八神」「はい」
「第一ボタンくらいは、留めておいたほうがいいぞ」
 どうやら首を絞められたのは、ボタンを外していたかららしい。
 八神はふらふらと手すりに身を預けた。殺されるかと思った。
 いつまでもそうはしていられないので、気を取り直して部室に向かう。
すでに十一月も終わりに近づいていたが、最近の黒木ときたら毎日、一番初めに部活に来て、一番遅くに帰っていく。編集が油に乗っているのだろう。
「もう三分の二以上が繋がっていますよ」
 誇らしげに語った。
「しかしこんなに残ってやらなくても、家で進めることもできるんだろ?」
 夜七時過ぎても残っているらしい黒木を八神は気にかけた。黒木は背を仰け反らせながら手を振った。
「あんまり家でパソコンばっかやってると、うちの親うるさいんですよ。まったく、何にもわかっちゃいないんだから」
「そうか――」
「きっさまぁ、そこでいったい何をしているっ!」
 突如、準備室から響く怒声に、立ち上がる。駆けつけると、手前に背を向けた烏丸、奥に夏樹が立っていた。何だ、どうした。
 まずはコーヒーを作ると言って夏樹が準備室に入っていった。それからしばらくして、紅茶を飲み干した烏丸が食器を洗うために入っていった。そのすぐ後に先の怒声である。
 夏樹の手は食器棚の引き出しに掛けられていた。非常に反抗的な目つきで烏丸を射抜いている。八神が烏丸の立場なら、震えて何も言えないだろう。
 烏丸は手のカップの持ち手を握りしめ、足を肩幅に開いて、さらに多少腰を落として夏樹に立ちはだかっていた。後ろ斜めからその顔が見えるが、ロマネスクに出てくる怪人のような形相だった。八神が夏樹の立場なら、わけもなく土下座しただろう。
 烏丸の次の叫びで、事の理由をやっと察した。
「人の薬を勝手に触るな!」
「こんな目に付くところに放置しているのが悪いんでしょ。私の眠剤切れちゃったのよ」
 引き出しから覗く夏樹の手が握っていたのは、銀色のフィルムだった。烏丸の目がカッと見開かれ、すぐに細くなる。抑えた低い声を出す。
「お前は何を飲んでるんだ」
「マイスリー、だったかな」
「俺のはデパスだ! 本人の処方されていない薬を飲むことは大変危険だと知らんのか」
 夏樹は大げさに肩をすくめて見せた。
「変わりはしないわよ。いいでしょ、ちょっとくらい。あんた、けっこう貯めこんでるじゃん。薬物自殺でもたくらんでたの?」
「いまどきの薬は何十錠くらいでは飲んでも死ぬほど苦しいだけで死ねないんだよ」
 その口ぶりがあまりにもリアルで八神は怖気が走った。経験者はかく語りき、といわんばかりに。
 八神は今の状況にどう対応したらよいか見当がつかず、二人の顔を見ることすら恐ろしく、夏樹の後ろの湯気立つコーヒーカップに標準を合わせた。スヌーピーの描かれたカップは、夏樹が持参してきたものだった。
「最近、不安定なことが多いのよ」
「お前はいつだって情緒が乱れてるだろうが!」続けて、トーンが嘲りに変わる。
「そんなにクスリが欲しけりゃ、父親と一緒に入院すればいいだろうが」
 コーヒーカップが瞬間移動した。いや、正確には、夏樹がつかみ、いつかのように投げ飛ばした。一瞬の出来事に八神も、無論烏丸も硬直していた。カップは黒い流線を残しながら、それて食器棚に激突した。夏樹は粉砕したカップには目もくれず、烏丸の胸倉をつかんだ。
「あんたこそ黄色い救急車でどこへでも運ばれていけばいい。烏丸洋介。たとえあんたが泣きじゃくりながら地面に頭をこすりつけて謝っても絶対に許さない。あんたの親が謝っても許さない。絶対に、死んでも、許さない」
 夏樹は無表情で、しかし世にも恐ろしい眼差しをしていた。八神や黒木には目もくれず、早足で部室を出て行った。
 三人の男たちは、しばし呆然と立ち尽くしていた。
 一番初めに動いたのは黒木だった。
「今日の夏樹さんはご機嫌斜めでしたね」
 とか何とか言いながら席に戻る。それを見て八神も正気を取り戻す。とりあえず、床のコーヒーを片付けなければならない。今回は烏丸に激突しなくて本当によかった。破片を雑巾で拾い上げ始めたとき、乱暴な音とともに食器棚が揺れた。ハッと顔を上げる。
「何、やってんですか!」
 物凄い勢いで――この部長のどこにそんな力があるのかというくらい――棚を殴りつける烏丸の腕をつかむ。
「クソ女が、俺はどうすりゃよかったんだよ!」
 なお律儀にティーカップを握っている右手がぶるぶると震えていた。左腕は八神が解放したらすぐにでも殴打を再開しそうだった。
 辛抱強く待つと、烏丸の血走った目が普段の落ち着きを取り戻してきた。
「……もう放せ」
 言うとおりにすると、ぎこちない動きで左手をポケットに戻す。
「危うく棚を壊すところだったな」
「棚の前にあなたの腕が折れますよ」
 八神は若干呆れながら返す。烏丸は軽く笑っただけだった。その足で本来の予定通り、流し台に向かう。
「食器、俺が洗っとくんで」
 ちらりとこちらを見、了解したらしくUターンした。あれだけぶつければ腕が痛くて食器洗いどころではないだろう。
 破片を新聞紙で包みながら八神の顔は無意識に険しくなっていた。ため息すらも出なかった。今日の夏樹は……いや、烏丸も……様子がおかしかった。もっとも、夏樹とは定期券のことがあって以来、ずっと少しぎこちなかったが、それにしても、烏丸部長の睡眠薬に手を出すなんてどういうつもりだろうか。
 引き出しのほうを見たが、結局、薬は減っていないようだった。
 夏樹は不安定だからと言っていた。言われてみれば、最近の彼女はとみに感情の波が激しかった、ような気がしないでもない。そんなに情緒不安定になることが何かあったのだろうか。
いろいろと不穏な憶測がよぎるが、どれもこれも理にかなわなかった。
 そろそろ校内でも文化祭の話が持ち上がり、生徒たちが浮き足立っていた。クラスでの催しの準備もあり、以前ほど部活に時間が割けない。そのこともあってか、この間の一悶着があってから、一週間、あるいはそれ以上、夏樹の顔を見ていなかった。
 ロングホームルームの時間は、文化祭の準備に当てられている。八神は教室の隅で黙々とペットボトルに絵具を塗っていた。クラスの出し物では、彩色したペットボトルを壁一面に並べて絵を作る。そのための準備だ。ほかにも数人が色塗りをやり、数人が板を張り合わせ、数人が合唱の練習をし、数人が教室を抜け出し、残りが遊んでいるといった状態だった。八神は生ける屍のように淡々と作業を続けていた。
「ちょっと、そこ。作業、手伝ってよ! 男子で色塗りしてるの八神くんだけじゃん」
 そばで筆を動かしていた女子がわめく。クラスに一人はいる、委員長タイプだ。八神の場合、何もしないで手を持て余しているほうが苦痛な性質だったので、機械的に塗布していたが、ほかの男子たちにまでそれを強要するつもりはなかった。
「わーってる、わーってるって! ほら、合唱の練習。は〜るの〜、うら〜ら〜の〜、す〜み〜だ〜が〜わ〜」
 甲高い声で全然関係のない歌を歌いだすお調子者に、イインチョーは頭を振った。
「やんなっちゃうよ。八神くんは真面目だねー。部活のほうも何か映画撮ってんだっけ」
 そう振られて、撮影のことがけっこう知れているのだと初めてわかった。
「がんばってね」
 あ、うん、と彼女の笑顔に答えながら、うちのクラスにもそれなりに可愛い女子はいるんだよなー、とぼんやり思った。爽夏には劣るが。夏樹にも劣るが。
 また夏樹のことを思い出し、気分が沈んだ。そっと、教卓前に座ってにこやかに監督している城戸を見る。無意識のうちにつぶやいていた。
「夏樹さん……」「え?」
「やっぱり、女の子は城戸先生のような頼りがいのある男が好きなんだろうね」
 イインチョーを振り返ると、目を丸くしていた。まあ、それはそうだろう。変なことを聞いた。それでも律儀に答えてくれたのには驚いたが。
「そんなことない。ううん、もちろん先生はいい人だけど――もっと、たとえば、誰もやらない仕事を一人でやってくれたりだとか、あとはそう、好きなことに一生懸命になっていたりとか、そういう人が女の子は好きなんだよ」
 なるほど、それは自分には程遠い存在だ。好きでもないのに暇つぶし目的でだらだらペットボトルを着色している自分には。
「それに、城戸先生って、今は真面目だけど、女性遍歴激しいって噂だよ」
 絵具を塗る八神の手が止まる。
「実習生だった時とか、女子生徒に手出しまくってたって。ありそうでなさそうな噂だけどね。まー城戸先生格好いいから。美術部がうらやましいーってみんな言ってる」
 イインチョーが意味深に笑う。
「特に夏樹恵とか、やたらベッタリしてて。放課後も夜まで残ってるみたいだし――ちょっと怪しいんじゃないのって話……絵具垂れてる、八神く……」
 彼女が言い終わらないうちに、八神は走り出していた。まとめてあった透明のボトルが足に当たり散乱したが、そのまま走った。横ぎる時、刺し殺すつもりの眼光で城戸をにらんだが、本人が気づいたかは定かでない。教室を出る寸前にお調子者が(おそらくイインチョーに向けて)言った「お前、また失言か?」という声だけが耳に残った。
あれほど生徒に人気の高い、しかもハンサムな先生ならば、噂の一つ出ないほうがおかしいし、夏樹が城戸と接触が多いのは撮影のこともまま関係するし、遅くまで残っているのは純粋に絵を描くためだろう。したがって彼女の言うことは信用に値しないが、――夏樹と城戸の間にあらぬ噂が立っているようなら、そこはきつく忠告しておかなければならない。あまり誤解を生む行動を取らないように。
八神は五組、夏樹は三組の生徒だった。文化祭準備期間は、基本的にどこをうろついていても文句は言われないが、性格的によその教室に入るのには躊躇する。出入り口で止まり、出てきた女子生徒を捕まえた。
「あの、夏樹さんいる?」
 女子は後ろに二歩下がり、「夏樹さーん」と通る声で呼んだ。しばらく待って、
「いないみたい」「ありがとう」
「たぶん美術室だよ」
 いささか落胆しながら歩き出した八神に、彼女は付け足した。八神は再び猛然と走った。準備中は慌しいので、あまり目立ちはしなかった。
 長い渡り廊下を過ぎ、特別教室棟に辿り着く。息が苦しく、詰襟と第一ボタンを外す。普通教室の喧騒は、ここにはなかった。代わりに県屈指の吹奏楽の奏でる荘厳な曲が流れていた。それを聴きながら、八神は美術室に向かった。
 女子生徒の言ったとおり、夏樹はそこにいた。
 夏樹がせっせと筆を走らせている油絵を見て、八神は目を剥いた。
「夏樹さん、前描いてたの、切り株じゃなかった?」
 モノクロームの中に切り株がぽつんとあった絵のはずが、はみ出さんばかりに枝葉を広げる大樹に変貌していたのだ。しかも色合いはなんともカラフルで、トロピカル風味だ。
「ああ、これ」夏樹が目を細めた。
「油絵はね、描けば描くほど変わっていくものなの。それに、やっぱり切り株を描くよりはこっちのほうがいいと思って。私の中の神様の木」
 なにやら宗教臭いことを言い出す夏樹を受けて、新たな狼狽が追加される。
「で、何?」
 静かな声で夏樹が言う。八神は、二人のほか誰もいない美術室を見回す。
 とたん、何をどう話せばよいのか整理がつかず、しどろもどろになる。
「いや……授業中にも描いてるなんて、熱心すぎるんじゃないかな……最近、映研の部室にはめっきり来てないし……」
 我ながら実にこじつけ臭い話だった。
「文化祭も近いし、その後は県の高文祭にも出すのよ。こん詰めて描かなくちゃ。城戸先生も気に入ってくれてる。期待を裏切らないようにしなくちゃ」
「そんなの、どうだっていいだろ!」
 夏樹の顔から表情が消える。言った後に口を押さえた。八神がフォローを入れる前に、夏樹が激昂した。
「自分の映画制作は散々手伝わせておいて、私の好きなことは否定するの!」
「いや、違う、違う違う。そうじゃなくて、そうじゃないんだ」
 慌てて両掌を前に突き出すが、夏樹の怒りはとても受けきれるものではなかった。
「そのさ、夏樹さんは、城戸先生にくくりすぎな気がするよ。先生には、あんまり関わりすぎないほうがいいと思うな。変な噂とか立つと困るし」
 夏樹の目が細くなる。ゆっくりと足を組む。スカートのひだが動き、白い太腿が露わになった。それから指先を唇に当てて、妖艶に笑う。八神の眉間に皺ができた。夏樹の雰囲気は何かおかしかった。少なくとも八神は、夏樹がこんな仕草をするところは見たことがない。
「噂じゃなければいいんでしょ?」
 吹奏楽の音楽が、止んだ気がした。
「え……それ……どういう……」
「先生はね、優しいんだよ。すっごく優しくしてくれるの。満たされるの、心も。体も」
 視界が真っ赤に染まり落ちた。
 ――あいつ。あの教師!
 八神の中で時限爆弾が吹っ飛んだ。
「いいか! あの教師はな、とんでもない野郎なんだよ! 夏樹さんのような清純な女子生徒を弄んでボロボロにして喜んでるんだ! 今までにも何度もそんなことをしているんだぞ! 実習生だったころも、かなりの女子生徒と関係してたって話なんだ! 女関係だけじゃないぞ。すべてにおいてとんでもない悪党なんだ。映画撮影に加わったのだって、恐ろしい陰謀のためなんだ! 俺たちを陥れようとしているんだ! 普段は生徒にいい教師としてふるまっているが、それだって裏があってのことだ! それはつまり、いざ自分が不利な立場になったときも、純朴な生徒たちの信頼と尊敬を利用してまんまと形勢逆転しようってんだ!」
 怒涛のようにしゃべり、息が途切れる。じわじわと顔が青くなっていく。
 ――なんか俺、今、とんでもないこと言ったよな……?
 一瞬でも早く、夏樹から目をそらして逃げ出したかった。しかし、腹に鉛が入ったかのように体が重く、一ミリたりとも動くことができない。
 フォローが思いつかず頭が白くなりつつあった八神は、強く前に引っ張られて正気を取り戻す。だが安堵などは皆無。夏樹が胸倉をつかみ上げているのだから無理はない。
「な、夏……」
 弁解の隙も与えず無言で夏樹は彼の顔面を殴っていた。平手ではない、拳でだ。そのまま後ろによろけて腰を落とす。その八神を、呪詛の込められた血色の瞳で見下ろす。
「最低だよ。何の根拠もなく人を貶めて」
 その言葉は鎖となり、八神の体を動かなくさせた。
 夏樹はそれっきり彼を見ることもなく、美術室を後にした。
「う、あ、ああああ……」
 ようやく口から出た声は、言葉にすらなっていなかった。
 どこからか鐘の音がする。もう何もする気が起きない。それでも、授業をサボる甲斐性のない八神は、夢遊病状態で教室まで向かった。
「まったくさ、死んだら地獄だなんて何をくだらないことをみんな言うんだか。この世以上の地獄が、いったいどこにあるっていうんだ」
 夜叉丸の尻尾の毛をいじる。夜叉丸はうっとうしそうに伸びをして、美しい背中のラインを描いた。尻尾を鞭のように一振りする。そしてまた寝むの世界に落ちていった。縁側に転がる漆黒の饅頭の隣には、細面で若干青い顔の若者が腰を下ろしていた。
 吐いたため息三十以上。八神は幸せの妖精のホロコースト中だった。
「もう何もかも終わりだ。夏樹さんは俺を軽蔑した。城戸先生には許されないことをしてしまった」
 自分が叫んだことはまったくの誹謗中傷にほかならなかった。夏樹の言うとおり、何の根拠もないことだ。特に後半なんて、その場で思いついたことをぶちまけただけだ。城戸が自分たちを陥れようだなんて、いったいどこからそんな発想が出てきたのだろう。恐ろしい陰謀だとか生徒を利用してだとか、悪の組織でもあるまいに……いやはや、映画の観すぎだ。あまりにもめちゃくちゃな発言に、自分でも笑いが止まらない。
 それに、城戸が女を垂らしこんでる云々の話も、イインチョーから聞いた取るに足らない噂話を、さらに何十倍も誇張してしまった。嘘か本当かもわからない、いや、かなりの確率で嘘であろう噂を。
 自分自身に言い訳をさせてもらえるならば。あの時――八神の知らない夏樹の姿を見た時――何かが弾け飛んだ。あの雰囲気、あの言いよう! 二人が一線を越えてしまったのではないかと思ったのだ。
「考えてみれば夏樹さんはそんなこと一言も言ってないんだよなあ……」 
 つまり、すべて自分の勘違いかもしれなかった。しかしその愚かな勘違いによって、自分は大切なものを失ったのだ。
 もっと自分に自信があれば、こんなことにはならなかったかもしれない。城戸先生への劣等意識が暴走に繋がったのだ。
 漠然とした根拠のない思い込みではなく、実質を伴ったプライドがあれば。
 たとえば姉二人のように。たとえば兄のように。
「切人」
 声とともに背後に気配を感じ、体がこわばる。ゆっくりと首を回す。下の姉が冷徹な顔で見下している。
「うざい。死ね。氏ねじゃなくて死ね」
 縁側に座っているだけでうざいと言われる。自分にはどこにも居場所がないのだ。
 映画作りも、半分くらいどうでもよくなっていた。
「夜叉丸、俺にはもうお前しかいないよ……」


前へ 次へ

ホームへ戻る ホームへ

 小説へ