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男の純情(ある意味病的)

六、恵ちゃん大ショック


 翌日の放課後になっても、八神は抜け殻のままだった。机に頭を横たえ、動こうとしない。

「八神くん、今日は掃除やんねーの?」

 視線だけ動かす。いつも掃除時間遊んでいるお調子者の男子だ。八神が一人で掃除することに一縷の疑問も抱いたことがなさそうな顔をしていた。

 八神は目を閉じた。

「俺さ、今日、気分が乗らないんだ。悪いけど、ほかのみんなでやってくれないかな」

 当番のときは、いつも自分が一人でやっているのだ。たまにはサボったって文句は言わせない。

 お調子者は目と口を大きく開いて驚いた顔を作った。さあ、どうする、と思ったが、存外たやすく受け入れてもらえた。手を叩いてほかの当番に注意を促す。

「はいはいはーい。八神くんが気分悪いんだってー! つーことで今日は俺たちでやりましょー」

 男子たちが怪訝な顔でざわめいた。あ、やばいかなと回らない脳みそで考える。

「珍しいなー、掃除好きの八神くんが。保健室行ったほうがいいんじゃないか」

「じゃあまー今日は俺たちでパパッと済ませちまうから、ゆっくり休めよ」

 これまた存外に好意的だった。派手目の男子たちからは距離を取ってきた八神だが、こいつら、思っていたよりもいいやつらなのかもしれないと、初めて思った。

 教室を出るときに、お調子者の浅薄な言葉を耳が捉えた。

「もしかして三組の夏樹のメグちゃんと痴話喧嘩かー?」

 ――前言撤回。こいつらやっぱりダメだわ。

 八神は、親しい人間が聞いたら明らかに様子がおかしいのがわかる声で言った。

「どこから夏樹さんが出て来るんだよ」

「だって、お前ら仲いいって噂だぞ。付き合ってんじゃねーの?」

 その時、廊下を掃除していた女子が顔を覗かせた。八神に噂を吹き込み、破滅への原因を作ったイインチョーだ。口を尖らせる。

「そんなわけないでしょ。夏樹恵はうちの担任にお熱なんだから」

「え、マジ?」

 男子が目を丸くする。

 八神は女の子の真正面にずいと移動した。

「根も葉もないことを言うな」

「あ……ごめ……」

 彼女が言い終わらないうちに、廊下を歩き出す。後ろからお調子者の「お前、バッカだなあ」という声が聞こえた。

 ふと、階段横で見覚えのある影を見た。ああ、前にも同じようなことがあったなあ、いつだっけ。そんなことを思いながら話しかける。

「どうした黒木」

 いつもの白いセーターで、下からシャツがだらりと出ている。黒木は手すりに寄りかかっていた体を持ち上げる。不敵に口が吊りあがった。

「編集がついに終わりました」

 屍だった八神の目に、少しだけ生気が宿った。

「さあ、後は最終チェックだけです」

 黒木は非常に嬉しそうだった。生き生きとスーパーボール並みに跳ねて階段を下りる。八神がゆっくりとそれに続く。

「そういえばお前、荷物は?」

「先に部室に行って、置いてきました。動画もテープに落としてしまってます」

「ふうん……」

 一階の廊下に出てから、ふいっと振り返る。

「なーんでそんなに覇気がないんですか?」

「いや、べつに……」

 そう言いつつ、頭が下がり気味だった。黒木は眉をひそめて見せたが、何も言わなかった。

 渡り廊下に出る。設置してある浄水器のそばで烏丸を見つけた。誰かと……すらっとした女子生徒と話している。こちらに背を向けているので、貴族よろしく上品にまとめられた頭しか見えない。

 八神と黒木は顔を見合わせる。かまわず黒木が歩き出したので、八神も遠慮がちに続いた。

 烏丸は八神らの存在に気づくと、しっしっと言わんばかりの動作で女子を追い払おうとした。女子がこちらを振り返った。

八神と、おそらく黒木も、我が目を疑ったに違いない。

 そこにはおよそ境江市には似つかわしくない美女がいたからだ。

 彼女はこちらに向けて白い手を優雅に振る。微笑んだ顔は雲一つない晴天だった。チャーコールグレイのブレザーにチェックのスカートといういでたちからして、うちの学校の生徒だろう。だが、自分のようなものの通う学園に、こんな美人がいるなどということは、あまりにも現実味を欠いていた。

「部長、誰ですかこの二次元から飛び出したような悩殺美少女は!」

 駆け寄るなり、謎の美女と烏丸を交互に見ながら黒木が叫ぶ。ちらほらいた生徒の視線が一気に集まる。烏丸が目つきだけで人を殺せそうな顔をした。

 八神は、腐っても御曹司の烏丸が霞んで見えることに驚きを禁じえなかった。彼女の存在感はそれだけ絶大だった。

 烏丸は額に手を当てうつむいた。しばしして、口を開く。

「お岩さん、だよ」

 雷に打たれたように、粟島神社でのことがフラッシュバックする。あの時の、真っ黒い髪の妖艶な幽霊――。

 そのベールを取り払ったのが目の前の彼女か。

 絶世の美女と誉れ高い三枝朱里だが、一目見て納得してしまった。この美しさは誰の反論も許さないだろう。

 烏丸が、「特徴のある顔ではない」と言った意味が今ならわかる。すべてがあまりにも完璧すぎる。眉のライン、目鼻立ち、唇、輪郭、手足、プロポーション。そのバランスのどこが崩れたとしても壊れてしまう、完璧すぎる均衡を保っていた。睫毛の一本一本までが計算しつくされたかのような完璧な配置に見える。

 いったいどんな人生を歩めば、二十歳にも届かぬ少女がこのように成長するのだろう。

 だが朱里を絶世足らしめる要因は、その美貌ではない。内側から溢れ出るオーラだ。役者にとっては容姿より大切なものを、彼女は兼ね備えていた。

 黒木が興奮気味にまくし立てた。

「うっわ、美人ですね。めちゃくちゃ美人ですね。本当に生身の人間ですか。僕はてっきり部長が烏丸グループの力で超精巧な美少女ロボットでも作ったのかと思いましたよ」

「お前頭おかしいだろ」

「ま、爽夏ちゃんのほうが百倍綺麗ですけどね」

 烏丸の冷淡な一言を耳にも留めず、さらりと続ける。……こいつ、これだけの美人が目の前にいてもさあちゃんのほうが綺麗と言えるのか。八神は正直感服した。

 八神はぶしつけだろうかと思いながら尋ねた。

「何をお話ししていたんですか?」

「こいつ、事あるごとに映画の進行状況を聞いてきてな……人前で話しかけるなと言ってるのに……」

 うんざりとした顔で烏丸が答えた。視線が絶えずあたりを窺っている。

 烏丸には悪いが、八神は、朱里が自分たちの活動を気に留めていてくれたことが嬉しかった。

 朱里は肩をすくめてみせた。輪郭を縁取る柔らかな髪が揺れた。

「烏丸くん、なぜか私のことを避けるの。ひどいと思わない?」

「まあ部長はそういう人ですから。それより、映画、ついに完成したんですよ」

「本当? 私も観るよ」

 黒木が言うと、朱里は目を輝かせた。そういうわけで、四人で連れ立って歩き始めた。

 特別棟が近づくにつれて、八神の中の不安が増幅していった。鈍足が輪をかけて遅くなり、ついには立ち止まる。

「おい」

 黒木が振り返る。烏丸と朱里も足を止める。

「夏樹さんも、声かけるのか?」

「当たり前じゃないですか。夏樹さんは主演女優ですよ」

 黒木はあきれたような顔をしている。

 当たり前と言えば当たり前の話だ。だが、昨日の今日で、どんな顔をして夏樹に会えばよいのだろう。

 なんとか夏樹を呼ばずに済ます方法はないものか……歩きながら考えたが、そんなものがあるはずもなかった。そして着々と美術室は近づいている。

「いけ好かんが呼ばないわけにはいかないだろう」

「烏丸くんって、夏樹さんのこと嫌いなの?」

 わざとらしく文句を言う烏丸の顔を朱里が覗き込む。八神がだらだらついていきながら、その様子をぼうっと眺めていた。

「三枝も知らないはずはないと思うが。去年の生徒会選挙のこと」

「ああ、何かあった気がする。でも、過ぎたことはこだわっていても仕方がないと思う」

「この恨み、そう簡単に忘れられるものか」

 朱里は軽く首を振った。彼女は人間と言うより人形だなと思った。身じろぎするほど美しく、精巧に作られた人形だ。そのほうがまだあの黄金比の美は現実感がある。

「忘れるんじゃないの。あった事実を受け止めて、その上で前向きに考えることが大事だと思う」

 朱里は烏丸に言って聞かせているのだが、八神としても胸をえぐられる部分があった。

 ――忘れるんじゃなくて、受け止める。

 爽夏のことを忘れよう忘れようと勤めてきた八神には、自分の生き方を否定されたも同然だった。では、爽夏の死を受け入れて、自分はどう生きればよいのだろう。わからない。

 自分の愚かな発言を受け入れて、夏樹さんに謝る。夏樹さんもまた、受け入れて許す。それができれば一番なのだ。だが、現実的には無理に決まっている。今更どう謝ったらよいのかわからないし、夏樹が許してくれるとも限らない。だから難しいのだ。口で言うのは容易いが実行するのは命がけ、だ。

「――で、何度も言っているけれど、私、名字で呼ばれるのが嫌いなの。だから下の名前で呼んでちょうだい」

「俺は他人を名前で呼ぶことが嫌いなんだよ」

 烏丸が怒り気味に答えた。この人はカルシウムが足りていないと思う。

 八神には朱里の気持ちがわかった。八神は自分の名前が嫌いだった。八神切人。まずは字空が物騒だ。いい加減悪人面なのに、余計に悪い印象に拍車をかける。なぜ切人なのかと言えば、八神は四人姉弟の末っ子。女二人に男二人で、「切りがいいから」切人なのである。こんなふざけた名前を付けたこと、一生恨むに違いなかった。

 朱里もたぶん、同じような理由があって名字が嫌いなのだろう。

 朱里が、うつむき加減でぼそりと言った。

「……あの男の名字でなんか呼ばれたくない……」

 ――うわっ、何か空気が重くなった!

 黒木がささーっとゴキブリのような素早さで八神の横まで後ずさった。

「朱里さんってお父さんのこと嫌いなんですかね」

「さあな……そういう家もあるんじゃないか」

 小声で言う黒木に、適当に相槌を打つ。でも、さっきのも演技じゃないとは言えない。なまじ演技のうまい女優は悲劇的な一面もある。恋人の疑心暗鬼に常に晒されなければならないのだから。

「もーいい、とっとと美術室行って貧乏女しょっぴくぞ」

「ちょっと、逃げないでよ」

 烏丸が足早に階段を登り始めた。朱里が追いかける。黒木も急いでついていった。八神は気乗りしないので歩いていたが、黒木がせかすので仕方なく小走りする。

 ついに美術室についてしまった。八神は体を硬くし、うつむいた。ちょっと視線を上げると、烏丸が険しい顔をして窓の外を見ていた。思い起こすと、夏樹が最後に部活に来たときは、烏丸とかなり気まずかったのだ。ああ、自分だけじゃないんだ……と、妙な安心感を抱いた。

 黒木が遠慮の欠片もない勢いで扉を開けた。

「夏樹さん、城戸先生、ついにビデオが完成しましたよ!」

 そうだった。夏樹さんだけじゃない、城戸先生も来るんだ。八神の顔が青を通り越して真っ白になった。

しばらくして、夏樹の返事がする。

「すぐ行くから待ってて」

 廊下に出た夏樹は、思いのほかほがらかに笑っていた。

「城戸先生はまだ来てないんだ」

「そうですか、じゃあまあ仕方ないですね。先生は忙しいですから。――あ、この人、朱里さんです」

 朱里に目を向け、はしゃぎながら握手した。

「あー、なに、社長息子もいるの? うざいんですけど」

「うざいのは貴様だっ」

 夏樹は嫌味に笑うと、すぐに黒木のほうに向いてしまった。そんなに機嫌は悪そうではなかった。いや、むしろ上機嫌だ。

 自分が心配するほど、事態は悪くないのかもしれない――そう思った。

 顔を上げて夏樹を見た。ここで違和感に気づいた。夏樹は、黒木や朱里には楽しそうに視線を向ける。だが、八神とは絶対に目を合わせようとしなかった。首を動かした先に自分がいても、視線は上滑りするばかり。

 無視だ。

 八神の顔から血の気が引いていった。

 罵倒されるならまだ救いがある。相手とのコミュニケーションをとる意志があるのだから。だが、それすらなくなったら、もう終わりだ。

「さ、八神先輩、行きますよ」

 黒木に手を引かれ、いやおうなしに部室へ赴いた。

 部室の奇妙な光景に、ひと時、皆の動作が止まった。その奇妙さは、いわば騙し絵を見たときのような、一見、ありうるが、どこか不自然な感じだった。

 城戸が、部室の中にいた。しかも、半開きになった黒木のリュックの前で、テープ数本を片手に。まさしく豆鉄砲を食らった鳩の顔で、八神一行を見ている。

 多少の時間差の後、黒木が動いた。ずんずんと大股で歩み寄る。

「何をしているんですか、先生。勝手に人のものに触らないでください」

 黒木が手を伸ばすと、城戸は半歩下がりそれをかわした。かわされると思っていなかったのだろう、黒木は驚いたように城戸を見た。八神もわけがわからなかった。

 城戸はニッと笑った。今まで一度も見せたことのない、下卑た笑い方で。

「このテープは僕がいただく」

 八神は口をあんぐりと開けた。夏樹や烏丸もほうけた顔をしている。何を言っているのか理解ができなかったのだ。

「そして破壊する」

 八神たちの背景が漆黒に染まり、閃光が走った。

「な、何を言っているんですか。あなたは」

「今日、この日が来るのをどれだけ待ち望んだことか。この時のために僕は今まで面倒くさい撮影に協力してきたんだよ。どうだね、信頼していた相手に裏切られる気分は!」

 ここまで言われると疑いようもない。自分たちは城戸に陥れられたのだ。それにしても、彼の目的がわからない。八神は叫んでいた。

「どうしてそんなことを!」

「どーしてもこーしてもあるものか。人の土地に勝手に入ったり、深夜十時過ぎて外をほっつき歩いたりして撮った映画だろ。僕は教師だからね、そういう不正を許すわけにはいかないんだよ。教師たるもの、時には血道を歩まなければならないときもある」

 城戸は右眉を垂れ、左眉を持ち上げて、いやらしい顔で笑って見せた。とにかく癪に障る顔だった。

 八神は口をつぐんだ。自分たちが軽犯罪に触れるような真似をしたのは事実である。しかし、一緒にいた城戸はそれをとがめなかったではないか。それを今さらになって言い上げるのは殺生だろう。ましてやテープを破壊するだなんて……我々の半年を破壊するだなんて……。言いたいことが次から次にこみ上げてきて、うまく言葉にできない。

「その極悪面のどこが教師だ」

「やることが陰険ですよ。完成するところまで協力しておいて、最後の最後で取り上げるなんて」

 烏丸と黒木が矢継ぎ早に糾弾した。城戸は人差し指で眼鏡を持ち上げた。

「これはな、復讐なんだよ。俺は映画研究部の連中が腸煮えくり返るほど許せない」

 ――復讐?

「学生時代、俺はこの学校に通っていた。そしてテニス部の女の子に恋をしていた。だがそのころの僕は地味で冴えない美術部員。どのくらい冴えなかったかと言うと、黒木くんから傍若無人さを取った感じかな」

「そんなたとえに僕を出さないでください」

「とにかくダサかったんだ。僕はそんな自分のことをよくわかっていた。だから密かにスケッチブックに彼女の絵を描き続けた。僕はそれだけで満足していた。そこに現れたのが当時の映画研究部の部長だ!」

 急に城戸の語調がきつくなった。

 城戸先生の話はこうだった。

 映画研究部(以下少年Aとする)の部長は、目立ちたがり屋でいつも自分が世界の中心にいるかのような傲慢さがあった。その上他人に干渉してくる。城戸は少年Aのことを友達などとはちゃんちゃら思っていなかったが、Aは城戸のことを友達と思い込んでいた。城戸はそんなAがうっとうしくて仕方がなかった。ある昼休み、城戸はいつものように、校庭のベンチで一人、彼女のスケッチを描いていた。するとAがやってきた。

「おい、ハル。何描いてるんだ?」

 馴れ馴れしくも城戸悠久をハルなどと呼ぶ人間は奴以外にいない。城戸はやばいと思った。スケッチブックを隠そうとしたが、Aのほうが素早かった。Aは無礼にも城戸のスケッチブックをパラパラと見始めた。

「すっげー、お前、絵うまいんだな」

 美術部員に対してこの一言はあまりにも失礼だが、Aにはそんなことを考える頭がなかったのだ。きっと脳みそは恐竜くらいしかないに違いない。

「てーかこれ、あれだよな、同じクラスでテニス部の……あーっと誰だっけ」

 こちらを振り返りニッと笑った少年Aの顔のなんと醜いことか。地獄の悪魔でもかなわぬ凶悪さに満ちていた。

「あの子のこと好きなのか? だったら、本人にモーションかけないと始まらないぞ」

 そういうと、Aはコートでひたすらに玉拾いをする、かの君に手を振った。城戸の第六感が告げていた。これはまずい、と。

「おおーい」

「や、やめろ」

 城戸の悲痛な叫びは届くことがなかった。

 テニス部の彼女がやってきた。

 Aは愚かしくもスケッチブックを彼女に見せ付けた。

「な、ハルのやつ、めちゃうまいだろ。お前のこと好きなんだって」

 紙をめくる彼女の顔がだんだんと氷になっていく。すべてを見終わると、城戸の目の前でそれらを破り捨てた。無残な姿となったスケッチブックを城戸にたたきつけた。そして一言、

「きしょい」

 こうして、城戸少年の恋は終わった。

 少年Aは城戸の肩を叩いた。

「まあ、なんと言うか、ドンマイ」

「何がドンマイだ、全部、お前の、せいだろがああああっ!」

 大人になった城戸は、八神の前で大振りな動作とともに熱弁をふるっていた。初めは静だった語調が、怒りの叫びに変わっていた。

「俺だってわかってたさ、きしょいってことくらい! ドン引きだよ! だから密かに楽しんでいたのに! それを本人にばらす奴があるかあああ!」

 八神たちの中に奇妙な意思統一が起こり、洩れなく城戸先生のことを同情に満ちた目で見つめた。黒木が半笑いで言った。あまりの悲惨さに顔が引きつってしまうのだ。

「そりゃ、たしかに、恨みたくなる気持ちもわかりますね」

 城戸は、再び落ち着きを取り戻して語り始めた。

「だから僕は、奴に復讐しようと考えたのさ。僕には復讐するだけの理由があった。ついでに、奴の率いる映画研究部自体も気に入らなかった。あの頃の映研部ときたら、今と違ってずいぶんと幅を利かせていたもんでな。撮影だかなんだか知らないが、校庭でカラスの合唱みたいにうるさく騒ぐわ、美術部のことを地味だ暗いだと馬鹿にするわ。やりたい放題だった。だから、ふきとばしたのさ」

 最後に出てきた唐突な言葉に、しばし思考が停止する。――ふきとばした? 何を?

 城戸は、首に手刀を当て、ざっと引いた。

「……映画研究部は、その時、火薬を大量に使ったアクション映画を撮影していた。連中ときたら、手製の爆弾まで作っていたんだ。それを無用心にも部室に放置していてな。だから俺は、その爆弾を使って、マリアの首を……」 

 ボンッ。グーの手を開きながら言った。八神の脳裏に、無残に首を吹き飛ばされる聖母子像の姿がありありと浮かんだ。マリアの首に爆弾をくくりつける若かりし城戸の姿も。

「マリア像を壊したのはあんただったのか!」

 烏丸が目を丸くした。

 驚いたのは皆同じだった。映画研究部の業として、今現在まで迫害の原因となっているマリア像事件が、映画研究部の仕業ではなかったのだ。目の前の悪魔の知恵を持つ男に陥れられたのだ。

 城戸は悪びれもせず続けた。

「いい気味だったさ。あれが原因で映画研究部は一時期廃部、部員は全員停学処分、部長に至っては退学だ。それに代わるように美術部は実績を上げていったしな」

 城戸の目が鋭く尖った。

「だが、お前らはまだ懲りていない! 映画研究部が脚光を浴びることなど、この俺が断じて許さん! 部室に閉じこもってじめじめとビデオ鑑賞だけしておけばよかったものを、調子に乗るからこういうことになるんだ」

 ――そんな、理由で……っ。

 八神は怒りに震えた。これほどまでに他人へ憎しみを覚えたのは久しぶりだった。激情に任せて叫ぼうとした。が、前に歩み出る者がいたので思いとどまった。夏樹だった。

「どうして、どうして! 私、好きだったのに、先生のこと、大好きだったのに!」

 夏樹は少し泣き声だった。城戸は肩をすくめてみせ、さも残念そうな顔をした。

「夏樹くん、僕も君のことは気に入っていたよ。君には才能がある。それなのに映画研究部の撮影にかまけて美術部の活動をおろそかにした。実に残念だよ」

「私、油絵のほうも頑張りました! 朝も描いたし放課後も遅くまで残りました。ひどいです、先生、ひどいです」

 夏樹はその場に膝をついた。頭を垂れる姿があまりにも哀れで、八神の怒りに拍車をかけた。城戸はわざとらしくため息を吐いた。

「夏樹くんに泣かれると先生辛いなあ。よし、わかった。問答無用に破壊するのもフェアじゃないし、条件を出そう」

 城戸は、黒板上の時計を指差した。八神たちも進み出てそれを見る。

「今、ちょうど四時だな。六時の鐘が鳴るまで猶予をやろう。その間に取り返してごらん。六時を過ぎたら破壊する」

 八神は逡巡する。映画研究部の未来をかけた二時間の追いかけっこ。一方的にテープを奪っておいて、一方的に妥協案を出されても理不尽だ。

 こちらの意見を聞く隙もなく、目にも留まらぬ早業で、部員たちの脇をすり抜け廊下に走り出た。

「ではな! 絶望に打ち震えるがいい!」

 閉じる扉の隙間から、そんな捨て台詞が聞こえた。

 八神は地にうなだれた。「くっそう、ここまで来て……っ」テープを持っていかれたショックはもちろんのこと、信用していた城戸先生に裏切られたことも大きかった。本当はすぐにでも追いかけなければならないところだが、悔しくて悲しくて、立ち上がることもできない。こんな形で、自分のほら吹いた城戸陰謀説が真実になるとは思いもしなかった。

 その時、部室内にけたたましい笑い声が響いた。八神が猫なら体の毛が二倍に膨れ上がりそうな哄笑だ。

「フフフ……ハハハ……アーッハッハッハッハッ!」

 黒木だった。いつかの首吊り事件の時を彷彿とさせる姿だった。一通り笑うと、地に伏せる八神を見下ろしながら衝撃的な告白をする。

「あれは偽物ですよ」

「……は?」

「先生が意気揚々と持っていったテープは偽物です」

 八神と夏樹と烏丸が硬直する中(そういえば朱里の姿がない)、黒木は準備室のほうへ歩き出した。

「編集中のテープをいじくられるのが嫌なので、隠しておいたんです。僕が毎日誰よりも早く部室に来て、誰よりも遅く部室を出るのは、隠し場所を知られたくなかったからです」

「お前もっと他人を信頼しろよ……」

 黒木の病的な疑り深さが惨劇を防いだのは事実であるが。

「本当のテープは」準備室から帰ってくる。手の中でチャリと鍵が光った。

「この中です」

 ビデオ棚から、一本のビデオを取り出す。いつやら烏丸部長が勇んで持ってきた三島由紀夫の映画だった。

 烏丸が目を剥いた。

「お前、俺のビデオを勝手に出したのか。中身をどこへやった」

「三島の裏ビデオは『生きる』のケースに入ってますよ」

「じゃ『生きる』は!」

「『生きる』は『ヒトラー最後の十二日間』に入ってます。『ヒトラー最後の十二日間』は『ランゴリアーズ』です。『ランゴリアーズ』はそっちの、壊れたビデオデッキの中です。あれなら誰も触りませんから」

「勝手にぐしゃぐしゃにしやがって……」

 烏丸は髪をかきむしっていたが、このおかげで一筋の光が見えた。映画研究部のビデオ棚は鉄の砦なのだ。烏丸部長の収集してきた大部分を占めていることもあり、部外者が絶対に触れないように厳しく管理されている。何しろ、部室の入り口にすら鍵をかけないのに、棚は常時施錠されているくらいだ。マスターキーは烏丸が肌身離さず持ち歩き、合鍵の在り処は部員以外誰も知らない。夏樹や城戸にも教えていない。だから、ここに隠された財宝を手に入れることはアルセーヌ・ルパンでも不可能だ。

 八神は立ち上がって黒木に寄る。

「それでは中身を」

 勢いよくビデオケースを開ける。期待に胸を膨らませる。

 ――――。

 ――――?

「アレ?」

 ケースは空っぽだった。テープの影などまったくない。

 いつの間にか集まっていた夏樹や烏丸も、間の抜けた顔でケースを見つめている。本来なら、三つの小さめのテープが収められているはずの空間を。 

 暫時、沈黙。

 黒木がヒステリックに叫んだ。

「ない、ない! どうして! 絶対ここに入れたのに」

「先生が取っていったってことか……?」

 黒木が回転盤に首を載せたみたいに振り返る。

「どうやって? 合鍵の在り処は部員しか知らないし、マスターキーは部長が持ち歩いてる……」

 目を見開く。いきなり烏丸の首を引っつかんだ。

「部長、あなたですね! いったい銀何枚で僕らを売ったんですかああっ!」

「黒水、いい加減にしろ。部長はゆがんでるけどそんな真似をする人間じゃないだろ!」

 八神が慌てて引き剥がす。黒木はかなり興奮していた。ギラギラした目をレンズの向こうに覗かせていた。烏丸は半笑いで顔の筋肉をピクピクさせている。

 非常にまずい状況だ。

「あの、違うの。そいつじゃないの」

 夏樹の遠慮がちな声に、皆が振り返る。夏樹は思いつめた顔で続けた。

「私ね、先生に頼まれて合鍵の場所探したの。先生が映画研究部のビデオコレクションをどうしても観たいって言うから……こんなこと考えてるとは思ってなくて……」

 ――あいつ、夏樹さんを利用しやがった!

 八神の心臓が再び煮え立ってきた。

比べて、烏丸は少し冷静だった。乱れた学ランを正しながら言う。

「あの時、睡眠薬が欲しかったんじゃないんだな」

 夏樹はうなずいた。

「合鍵、探してた。まさかあんな薬の間にあるとは思わなかったけど」

「良識があれば他人は触らない場所だからこそ、な」

 八神は夏樹が最後に部室に来た日のことを思い出した。あの日の夏樹の行動はあまりにも不自然だったが、今なら合点がいく。あれから部室に来なくなったのも、鍵を発見できたからか。べつに情緒不安定になっていたわけではない、ということに安堵を覚えた。

「よく考えると変なお願いだったけど、あの時は考える余裕なくて……ごめんね、八神」

 ちらっと視線を上げながら、小さな声で言う。

 すさんでいた心が浄化されていくのを感じた。

 黒木がぎりぎりと歯を鳴らす。

「畜生おお、今度城戸先生のパソコンにサイバーテロしかけてやる」

「とにかく、城戸先生を捕まえるんだ」

 かなり時間を浪費してしまったことに気がつく。まずい。城戸がどこに向かったのかわからない。すぐにでも追いかけるべきだった。

「城戸先生は校門から左に走っていったらしい」

 烏丸が携帯電話を見ながら言った。「と、三枝朱里からメールが来た」と付け加える。

 さすが、朱里はしっかりしていた。八神はすぐにでも部室を飛び出そうとしたが、思い直して準備室に向かう。

 部屋の角に立てかけられた木刀をつかむ。剣道をやめてから、体力保持のために素振りしていたのだ。それを持って部室を飛び出した。

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