ある朝、目覚めると庭先にカーネルおじさんが立っていた。
カーネルおじさんとは某有名飲食店に設置されている等身大の白髪の老翁の人形である。
当然のことながら、ここは某有名飲食店ではなくただの二階建て家屋の民家である。 そこの住人である少女は首をかしげた。 しかし少女は学生で、学生である以上は学校に通わなくてはならない。筆記用具とともに湧き上がる疑問をランドセルにしまい込み、十歳の少女は学校に向かった。 空が赤に焼かれ、天道が地平線に飲み込まれる時間帯、少女は家に帰ってきた。 庭先には、朝とまったく同じ状態でカーネルおじさんが立っていた。 首をかしげながらも、少女はとりあえず家の中に入る。少女が前を素通りする時も、カーネルおじさんは笑顔を絶やさなかった。 翌朝、玄関を開けて少女は短く叫んだ。 カーネルおじさんが二体に増えているのだ。 胸中に理不尽な思いが渦を巻く。 ――どうして私がこんな目に。 憤怒をもってカーネルおじさんを睨み付けていると、近所の格好いいお兄さんが挨拶をしてきた。少女も慌てて俯いたまま小さく挨拶を返す。 お兄さんは、カーネルおじさんには気付いていないようだった。 しかし少女は学生で、学生である以上は学校に通わなくてはならない。二人のカーネルおじさんに見送られながら、少女は学校に向かった。 いわゆる茜雲が空を浮遊する時間帯、少女は家に帰ってきた。二体のカーネルおじさんが門柱のごとく少女を迎えた。 このようなときに限って少女の両親は旅行に出かけて家にいないのである。 誰にも相談することが許されない少女は、枕を濡らして世の不条理に耐えた。涙をこらえるには、その十歳の少女はあまりに幼かったのだ。 朝を迎え、日差しを取り込もうと部屋のカーテンを引いた時に、少女は壮絶な光景に言葉を失う。 庭全土をカーネルおじさんが埋め尽くしていた。 もうどこにも隙間が見つからぬくらいに、ぎっしりとカーネルおじさんが並んでいるのだ。少女の部屋は二階にあるので、その全体が良く見えた。 少女は言い知れぬ恐怖に、このまま逃げ出すように学校に向かった。 カーネルおじさんがすべて少女のほうを見ているように感じたのは、多分気のせいだ。 寂しがりの鴉が寝ぐらに急ぐ時間帯、少女の帰るところは他にないゆえ、少女はカーネルおじさんの人口密度が異様に高い二階建て家屋に戻ってきた。 布団にもぐり、明日になればカーネルおじさんが消えているのではないかという淡い夢を見ていた少女であるが、時は何も解決してくれないことを知っていた。 少女はベッドを抜け出し、窓から外を観察することにした。いかにしてカーネルおじさんが増殖するかを確かめるためである。 草木も眠る丑三つ時……という言葉を、少女は知らなかったが、時間帯はまさにその辺りである。庭にはまだ何の変化もない。カーネルおじさんがびっしりと佇んでいるのみである。夜更かしをしたことのない少女のまぶたはもう限界のシグナルを出していた。 だが、そのシグナルは一瞬のうちに消え去った。 夜の静寂に包まれた通りに、うごめく影を見た。 真夜中でありながら、わずかな光を反射した白い衣服はぼんやりと見えた。 電灯の下に差し掛かった時、少女は確かに認識した。 カーネルおじさんが歩いているところを。 実に優雅な足取りで、少女の家に近づいてくる。ステッキで地面を軽快につきながら歩く姿は、不思議と幸せそうだった。 ついにカーネルおじさんは少女の家に辿り着く。しかし庭はすでに満席で、彼の入る余地はない。一体どうするのか、少女には少し興味が湧いた。 カーネルおじさんは、まっすぐ歩き、庭ではなく玄関に向かった。しかし扉には鍵かかけられており、中に入ることはできない。 カーネルおじさんは玄関口で何事かしている。二階からでは屋根に邪魔をされその動作は見えない。 少女は窓をわずかに開いて、耳を傾けた。 数秒の後、少女の体から血の気が引いた。 よく響く金属音は、間違いなくポストを開ける音である。 そしてポストの中には家の合鍵が入っていた。 少女は窓に鍵をかけ、ベッドに飛び込んだ。それ以上は恐ろしくて見ていられなかったのだ。なぜカーネルおじさんが合鍵の隠し場所を知っていたかなど、考える余裕もない。 玄関を開ける音が聞こえた気がした。 階段を上る音が聞こえた気がした。 部屋の戸を開ける音が聞こえた気がした――。
色が反転し、黒い世界が白くなる。朝が来たのだ。 少女は布団を剥ぎ、そっと起き上がる。 ――――。 ベッドにはカーネルおじさんが腰掛けていた。
「なかなか面白い話だね」 「あなた、信じてないでしょう」 「そんなことないって。それで、その後少女はどうなったの」 「可哀相な少女は、カーネルおじさんの世界に連れて行かれてしまったの」 「カーネルおじさんの世界? アハハ、何だいそれ」 「……やっぱり、信じてないのね」 「そんなことないんだって! さあ、話して話して」 「最近のカーネルおじさんは、鎖でつながれているでしょう」 「ああ、以前はよく盗まれたから、盗難防止に鎖を付けたんだろ」 「そう。盗まれたカーネルおじさんは、みんな悲惨な最期を遂げたわ。マニアに売り渡される者、橋から投げられる者、粗大ごみとして処理される者、山中に放置される者……。カーネルおじさんの世界は、無念に打ち捨てられたカーネルおじさんの魂が集まり、束縛される墓場なの」 「人形に魂があるのかい」 「あるわ。カーネルおじさんの魂が開放される方法は一つ。墓場が満員になること。そうすれば古い魂から順番に成仏していくの。でも、最近のカーネルおじさんには鎖がついていて、かつてのように惨殺されることはなくなった。そのために新しい魂が訪れず、いつまでも魂の開放はなされない」 「皮肉だね」 「そこでカーネルおじさんたちは生贄を捧げることにしたの。現実に生きる人間の魂をカーネルおじさんの世界に引きずり込み、その魂で解放される。解放されたカーネルおじさんは、少女としてこの世を生きるのよ」 「なるほど、要は魂を交換しているわけだね。外見は少女、内面はカーネルおじさん。なかなか素敵だ」 「本当にそう思うの」 「でもどうしてその少女が選ばれたんだい」 「相手は誰でも良かったのよ。たまたま少女が選ばれたまで。物事には人が望むほど必然はない。運が悪かっただけなの。他にも本当は沢山いるのよ。カーネルおじさんに魂を奪われた人は。一般人にまぎれて世を生きるカーネルおじさんは。みんな知らないだけ」 「そうか、じゃあもう一つ聞いていいかな」 「どうぞ」 「何で君、そんなにカーネルおじさんに詳しいの」 「…………」 「どうかした」
「私、カーネルおじさんなのよ」
「奇遇だね、じつは僕もカーネルだ」
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