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男の純情(ある意味病的)

一、可哀想だは惚れたってことよ


 自室で、古い文献を読む少女がいた。勉強机には、図書館で借りてきた本が何冊も積み上げられていた。  ページをめくる手が震える。文献を机に落とす。
 青ざめた唇で、少女はつぶやく。
「『ま、まさか、とんどさんが……』」
 
「カーット!」
 威勢の良い声が部屋に響く。
「すごくよかったよ、夏樹さん」
 カメラを止めながら八神が笑う。さっきまで恐怖に震えていた少女は、椅子を傾けてガッツポーズしていた。
「と、いうことは……」
 画コンテと台本を見比べていた黒木晶の顔が色めき立つ。
「撮影終了〜っ!」
 五人輪になって叫んでいた。「うるさい」と低い声が奥の部屋から聞こえ、慌ててトーンを下げる。だが、顔のにやつきは収まらない。常日頃からやる気のなかった烏丸部長ですら、ホクホクと嬉しそうな顔をしている。
 夏休み終了から二ヶ月あまり。限られた時間で撮影をこなしてきた。後回しにしていたシーンが、最後まで残っていたが、やっと今日、撮り終えた。少女が「とんどさん」の秘密について知ってしまう箇所だ。
 撮影場所に使った八神の部屋で、一同は喜びをかみ締めていた。
 畳の上に胡坐をかいて、城戸先生が穏やかに笑った。
「一時は終わらないかと思ったけど……よかったじゃないか」
「これもみーんな、先生の協力のおかげです」
 夏樹が手をいっぱいに広げる。みんなの力だよ、と城戸が返す。
 城戸の言うとおりだ。誰か一人欠けてもならない、全員の力があったからこそ今回の撮影は最後まで辿り着けたのだ。
 夏樹さんが役者として協力してくれなければ、自主映画なんて夢のまた夢だった。季節が秋になっても半そでの衣装で頑張ってくれたことには頭が下がる。烏丸部長は一見役立たずだが、意外なくらい目配りのできるタイプだった。カメラの先に不要なものが写っているときは、必ず指摘してくれた。おかげで撮り直しが最小で済んだ。城戸先生は大人ならではの支えになった。ロケ地が遠いとき、保護者が必要なときは本当に助かった。黒木は撮影中のコンテの管理、照明など、補佐として非常に頼もしい。八神が出演するシーンでは、代わりにカメラもこなした。
 仲間っていいなあ、としみじみ実感した。
 正座して本棚を観察していた烏丸が顔をこちらに向ける。
「ともあれ、これでほぼ完成したも同然だな」
「まだまだこれからですよ!」
 水を得た黒木が急加速で烏丸に顔を近づける。烏丸は叫びながら身をのけぞらせる。八神が必死で口元に指を立てると、一つ咳をして身をただした。
 黒木はおもむろにリュックサックをあさり始めた。出てきたのは光沢を放つ白い箱型のものだった。
「次からは編集作業です。なんと僕のマイパソコンには、独自ルートで入手したプロご用達編集ソフトが入っているのです! 後は僕に任せて、皆さんはゆっくりしてください!」
 眉と口をつり上げ、眼鏡をギラギラさせながら、「マイパソコン」「プロご用達」「僕に任せて」を強調する。むやみやたらと輝いていた。自分が人の優位に立つということがよほど嬉しいと見える。八神としては撮影で使う予定のないパソコンをなぜ持ち歩いているかのほうが気になった。
「バラバラになっているシーンを来週までには順番どおりに並べ直してしまいますよ」
「じゃあ今日は解散だな」
 胸を張る黒木の肩を叩く。みんな立ち上がって荷物をまとめ始めた。
 八神はちらりと机の時計を見る。四時前だった。いつ姉や兄が帰ってくるかわからない時間帯。できれば彼らには鉢合わせたくなかった。こんなにたくさん人を家にあげているとなると、文句を言われるか冷やかされるかされるに決まっているのだ。みんなには悪いが、早く掃けてもらうに限る。
 八神が先導して廊下を歩く。夏樹、黒木、烏丸、城戸と続く。
 縁側のサッシは開け放たれ、視界の横を日本庭園が流れる。今は花を失った桜木が植えられ、その下には大きな池があった。中では錦鯉が五匹ほど飼われている。
 八神家は母屋だけでも軽く百坪を超える敷地を持つ豪商だ。その中で、八神切人の部屋は玄関から一番遠い六畳間である。空き部屋はたくさんあるが、勝手に使うと怒られる。 
 玄関に辿り着くまで、運よく誰にも遭遇しなかった。八神は胸を撫で下ろし、一同が靴を履くのを眺めた。
「みんな、僕が家まで送ろうか?」
 門の外で城戸が言う。近くの空き地に城戸の車は止めてあった。夏樹がスカーレットの瞳を輝かせて手を上げかける。が、その前に烏丸が口を開いた。
「いえ、城戸先生のお宅とは方向が反対なので」
「そうか」
 上げかけた手を握りしめ、夏樹は烏丸を睨んだ。どうやら送ってほしかったらしい。しかし烏丸と夏樹の住む町が同じな手前、それは無理な話となった。
「じゃあじゃあ、僕は乗せてってください! 米垣町ですから」
 遠慮も欠片もなく黒木がせがむ。城戸はうなずき、八神に手を振ると歩き出した。
 城戸先生のワゴン車が小さくなっていく。それを見送った後、烏丸が夏樹を見る。口元にわずかながら不快な笑みを浮かべていた。そして一言、
「あつかましい女は嫌われるぞ」
 夏樹の顔がモミジよりも赤くなった。それが怒りなのかそれとも別の何かなのか、八神にはわからなかった。夏樹が言い返すよりも先に、烏丸はその場を離れてしまった。
 三つほど先の電柱の下で、携帯電話を取り出した。ハイヤーでも呼ぶのだろうか。赤の他人といわんばかりに八神たちのことを完璧に無視している。……部活は部活、プライベートはプライベート……その発言に嘘偽りはなかった。
「あつかましい女は嫌われるぞ……てめえの好みなんて知るかって! けっ、けっ、けっ」
 あまり似ていない烏丸の物まねをした後、何度も地面の砂を蹴る。蜂蜜を溶かした金髪が、どんどん乱れ落ちていく。
「夏樹さん、落ち着いて。駅まで送るよ」
 どうどうとなだめる。夏樹は何度か深呼吸し、パチッとおすましに切り替わる。そうね、と笑って歩き出す。
 二人並んで、紅葉に染まった街角を歩く。夏樹は一度身震いし、ジャケットの襟を抱く。それから軽く伸びをした。
「とうとう、撮影終わったんだね」
「長かったね」
「でもあっという間だったよ」
「今までありがとう」
 八神の言葉に、夏樹が立ち止まる。八神は軽く笑った。夏樹は映画研究部の部員ではない。役者として協力してもらっただけのことだ。撮影が終われば、これ以上よその部活にかかずらっている暇はないはずだ。宮殿の猫の絵を描き上げた後も、次の作品を再び描き始めていると言っていた。
 夏樹は軽やかなステップで歩き出す。
「どうせだから、出来上がるまで付き合うよ」
 ぼうっとその様子を見ていたが、ハッとして後を追う。夏樹は少し首をこちらに傾けた。
「っていっても、後は黒木くん任せってことになるのかな」
「まあそうだけど、細かい演出とかは逐一確認していかなくてはね」
「撮影、いろいろとあったよね」
「しょっぱなから、予想外のものが飛び出したからなー」
 開かずの間でのことを思い出し、苦笑する。女の肖像と黒板の文字は、結局何なのかわからずじまいだ。
「あと、栗嶋神社のこと」
「あれは……いろいろと大変だったな」
「でも今となっては楽しい思い出じゃない?」
 隣で笑う夏樹に、ううんどうかな、と曖昧に返す。八神の中では、あの一連の出来事はどんなに時が経とうと楽しい思い出にはならない気がした。
「捨てヶ浜で撮影の後、花火上げたよねー。ロケット花火」
「本当は危ないから禁止なんだけどな。けっこう悪いことやった気がする」
「人の墓場の中に三脚突き立てたりね。音を出すために神社の灯篭を殴ったり、無断で小学校の敷地に入ったりー」
 思い出すと、頭が痛くなってきた。いくら撮影のためとはいえ、羅列してみるとけっこうとんでもないことをやっている。
 テンションの下がった八神を見ながら、夏樹がいたずらっぽく、しかし愛嬌のある笑みを浮かべる。
「いいじゃん、城戸先生も同伴だったしさ。それに、模範的に行くより楽しいでしょ」
 夏樹の言うとおり、ちょっとした悪行をしたことでテンションや連帯感が上がったこともまた事実だった。悪いこと、軽い後ろめたさ。その感情の共有が、絆を深める。友人に不良グループのリーダーがいるが、彼らがなぜ悪いことをしたがるのか、なぜ群れるのかが何となくわかった。
 ――この数ヶ月で、ずいぶんと性格が緩くなった気がする。
 一線を踏み外さないようにしなければ、と少し心を引き締めた。
 その後も会話は途切れなく続いた。口下手の八神としては珍しいことだった。夏樹が楽しそうにしているのが嬉しい。
「私、映画手伝ってよかった。なんだかんだで、八神と一緒に遊んだりしたのって初めてだったし」
 駅が見えてきたところで立ち止まり、夏樹がその大きな瞳で自分を見つめながら言った。
 八神は言葉が詰まった。夏樹に言われるまで、考えたこともなかった。
 二人は中学二年生から言葉を交わすようになったが、たしかに、遊んだという記憶はなかった。たとえばノートを貸す、ノートを返す。そういった「必要」に基づく付き合いしかしてこなかったのだ。遊ぶ、といっても何をしたらよいのかわからないのが本音だった。映画を観にいくか、本屋で立ち読みするか、そんなことしか思いつかない。
 そして――、夏樹の口から――自分と遊べてよかったと、そう言われたことは、八神の中で少なからず意味を持っていた。
 じゃあね、と手を振る彼女にぎこちなく手を上げることしかできなかった。そして列車が過ぎ去った。
「よしよし、夜叉丸ー。今ご飯あげるからねえ」
 台所の隅。絶えず足に体を摺り寄せる黒猫に話しかける。マグロ風味の猫用缶詰に缶切りを差し込むと、いっそう高い声で夜叉丸が鳴いた。八神の顔が意識せずに破顔する。
「もうちょっと待ってねー」
 人間の前では絶対に出さない甘い声だ。皿の中に乾燥フード(猫飼いの中ではカリカリで通っている)と猫缶を入れて箸で混ぜ合わせる。夜叉丸は行儀よく皿の前で座っていた。その小さな頭を撫でてやる。
「夜叉丸、俺のお話、聞いてくれる?」
 無論、返事などないが、それでも八神は話を続ける。
「俺、どっかで思っていたんだ。夏樹さんには嫌われてるんじゃないかって。だって俺、本当に彼女のこと想って行動したことってなかった気がするんだ。話すきっかけになったことだって、先生に頼まれたからだし。三年になってからもうちょっと積極的に話すようになったけど、それだってさあちゃんにいい格好したかっただけだし。高校になってから一緒にいたのも、……たぶん忘れたくなかっただけじゃないのかな、さあちゃんのこと。さあちゃんの親友のそばにいることで、世話を見ることで、何となく自己満足とか自己陶酔とかしてたんじゃないかと思う。夏樹さんが喜んでくれた今回の撮影だって、単に役者が欲しかっただけだし。で、撮影のついでに遊んだりしてただけなわけで。はっきり言っちゃえば、俺は夏樹さんのこと、体よく利用してただけなんじゃないかって、夏樹さんもそのこと知ってるんじゃないかって。そう思ってたんだ。でも今日、夏樹さんはよかったって言ってくれた。それが、よくわかんないけどすごく嬉しかったんだよ」
 猫のえさは半分ほどになっていた。頭を撫でる手を止める。
「夏樹さんは俺のこと、どう思ってるんだろうね」
 暫時、沈黙。猫の尻尾が緩やかに三往復したあと、
「お前にこんなこと言っても詮無いかぁ!」
 空笑った。
 

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